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November 05, 2005

「造形論」の添削結果

「造形論」の添削指導評価票が戻ってきました。

ふむふむ...
■人々が「聖」と「俗」とを区別するときの一般的な基準についても明確にしたほうが、内容が充実する。
■「アート」においては、一般的に俗的なもののほうが評価が低いが、そのことと、各作品の主題や意味とを結び付けると、複合的な見方ができる。

というような改善点をコメント頂きました。まあ、一言でいうと「底が浅い」レポートだったということか...(関係ないですが、先生が使っているワープロのフォント、デカイッす!?)

では、提出したレポートを下記に...

--- ここから ---

「聖/俗」という対概念について


 この課題では、まず対象とする対概念を選択しなければならない。
「右」と「左」という対概念も興味深かったが、今回、私が選択した対概念は「聖」と「俗」である。

 「聖」とは何だろうか。高貴で、犯すこと、汚すことのできない存在のように感じる。
では、「聖」の対象とはなんだろうか。
「聖」の対象としては、我々の眼に見えるものと見えないものがあると考えられる。
勿論、「聖」自体は見えるものでは無いので、受け手がどのように感じたかという主観によるものであろう。
実際に眼に見える「聖」には、人(聖人)や道具(聖書、聖剣)などがある。
また、眼に見えない「聖」には、人間の想像上での存在(神、天使)や空間(聖地、聖域)などがある。
ここで、「空間」という言葉を用いたが、「聖地」と言われる場所は、人が見ることができても、実際には、その場所に存在する地面や、石、木々などの構成要素が見えているだけで、その場の空気や、その場に居る人間が肌や頭で感じる感覚まで含めた「場」が見える訳では無いと考えている。

 宗教上の聖人・聖地・聖書など、単にそれを題材とするだけではなく、俗の「場」への聖の「もの(物・者)」が存在するとき、あるいは聖の「場」への俗の「もの(物・者)」が存在するとき、そのギャップにより、「聖」という存在が際立ってくるのではないだろうか。
このように「もの」と「場」という2つの「聖」なるものが存在するという仮定において、「聖」と「俗」との対概念で作品を考えてみたい。

 最初の作品は、フランソワ=エドゥアール・ピコの「アモルとブシュケ」(図1)である。
 この作品では、天使と女性の二人が描かれている。二人が一緒に一晩を過ごしたあと、寝入っている女性を起こさぬよう、静かにベッドから抜け出そうとしている場面に見て取れる。
髪の毛と顔の眉毛や睫毛以外には、体毛を確認できない外見が無垢なる印象を与え、加えて、背中に羽があることで、聖なる存在である「天使」があることが伺える。
しかし、ベッドに横たわる女性が、シーツで下半身が覆われている状態であっても、衣服を身に着けない、全裸で状態であることは明白である。
眠るという日常行為と寝室という日常空間に存在する天使という異質な存在。
 「俗」な空間へ「聖」なるものが投げ込まれたとき、我々が感じる奇妙な感じはなんだろうか。我々が日常を過ごす空間であるため、聖なる存在が急に同じ位置に降りてきたかのような感じでもあろうか。
そのため、急にこの絵がエロチックなものと認識してしまう。

 次の作品は、ポール・ドラローシュの「若き殉教の娘」(図2)である。  
 この作品では、水面に横たわる若い女性の姿が描かれている。
その女性の両手は身体の前で交差されるとともに紐で結わえられているが、その顔は苦しんでいる様子は無く、穏やかで、水の揺らぎに任せて漂っているように見える。
しかし、彼女の置かれた場所は何処であろうか。また、上に居る男性の姿は何を示そうとしているのであろうか。闇に包まれそうな状況でもあり、闇が押し戻そうとしている状況にも見える。聖なる場所から彼を排除しているのであろうか。
そして、彼女の顔の上に浮かぶ金の輪の存在が、この空間を特異なものとして際立たせる。この輪が在るからこそ、「聖」という印象を与えてくれるのである。

 次の作品は、ヘルムート・ニュートンの「Castello di Rivoli」(図3)である。
 ヘルムート・ニュートンが対象とする女性は、ヌードという姿でありながら、均整の取れた身体付きが、現実離れした印象の方が強く場合が多いので、エロチシズムというよりも、ある種の「聖なるもの」としての感覚を覚えることがある。
この作品では、ドアを一枚隔てることで、ドアの手前の「俗なる空間」とドアの向こうの「聖なる空間」の二つの空間が存在するかのように思えてくる。
しかも、もう一つ鏡の世界が存在するのである。実は、鏡の世界が「聖なる空間」であり、ドアの向こうに実在する場所は、「俗」と「聖」の緩衝地帯、あるいは門のような空間かもしれない。とすれば、真ん中の椅子に座る女性は、「俗」と「聖」の門番であろうか。
そして、鏡に映る女性は、日常の世界から「聖」の世界を伺っているのかもしれない。
この作品は、モノクロ写真であることが効果的である。それはあくまでも、作品を見る人々の意識によるかもしれないが、この写真がカラーであれば、鏡に映る女性の姿を含めて全てが、我々の置かれた「日常」と同化してしまい、「聖」という存在が感じられないものとなるであろう。

 次の作品は、ギュスターブ・モローの「復活」(図4)である。 
 この作品の背景を知らずに見たときの衝撃はなんだろうか。
宙に浮く首という日常ではあり得ない光景と背景が未完成であるために、闇の中から浮かび上がってくる壁や柱の文様などが混然となって、異質な空間を生み出している。
しかし、首だけとなった彼の視線の強さと、首の周りに描かれた光が闇を照らし出す神々しさを感じさせることで、それが「聖」なるものとの印象を強く与えるように感じられる。

 次の作品は、グスタフ・クリムトの「医学」(図5)である。
 この作品は、最初に展示された場所も含めて考えるべきであろう。
「医学」という題材でありながら、聖書では悪役となっている蛇や、死者の象徴とも言える骸骨の姿が描かれているのである。
「医学の聖域」に展示することを所望した依頼者が、完成した作品を撤去するように迫ったというエピソードとともに語られる作品ではあるが、生から死に至る人間の生涯と、絡み合う人間世界の混沌、そして、それに対する医学の処方(蛇を象徴として示している)
を与えるという視点には、作者が「聖」なる意識を持っていたと考えられる。
しかし、そのような視点にも関わらず、依頼者(いわゆる「俗物」)たちに否定されてしまったのが残念である。

 次の作品は、武部本一郎の描く「火星のプリンセス」(図6)である。
 この作品は、エドガー・ライス・バローズが書いたSF小説「火星のプリンセス」の日本版の表紙である。
SF小説の世界であるから、背景には想像上の火星の世界が広がっている。
しかし、その想像上の世界に対して、中央に佇む女性には、憂いを含んだその横顔から高貴な印象を受ける。この絵の作者が女性を描くときの手足のか細さがその印象を一層引き立てる。いわゆる空想小説と言われる俗物的な世界であるからこそ、この女性の「聖」的な要素が際立っているように思える。
この表紙を初めて見てから20年以上経つが、いつまでも強い印象を与えてくれる作品である。

 最後の作品は、荒木経惟の「センチメンタルの旅・冬の旅」の中の一枚(図7)である。 
 この作品は、荒木氏の妻、荒木陽子さんの葬儀のときの写真である。
葬儀という空間と死という出来事は、日常と非日常の狭間にある。平素の日常生活の延長にあるのに、無意識のうちに意識しないよう、心の奥底に閉じ込めている自分の「死」の場面の一シーン。
自分以外の「死」の場面に遭遇することで、自分の死への恐怖や不安を感じるとともに、その壁を越えてしまった者(死者)に対して、畏怖の念、つまり「聖」なる感覚を覚えるときがある。
この写真では、棺の中で眠る彼女の顔が穏やかなものであり、まるで「聖母」のような印象を与えるのである。この印象からも日常から隔絶した「聖」の存在を感じてしまう。

 冒頭、「聖」には、「もの」と「場」という2つが存在すると仮定した。
宗教的な観点で見ると、「聖」の対象は、気高い存在であるとともに、崇拝の対象であり、敬うべき存在であった。
今回取り上げた作品の中には、宗教で述べられた事象を題材とした作品もあるが、宗教的観点とは異なった「聖」へのアプローチが見受けられ、いわゆる宗教画とは異なる世界が展開している。
つまり、宗教画では、描かれている「もの」(者・物)は「聖」なる存在であり、また、描かれている「場」も「聖」なる空間であった。

 「聖人」という言葉に対して「俗人」という言葉がある。しかし、「聖域」という言葉に対して「俗域」という言葉は聞いたことはない。「俗域」という言葉は無いが、この場所は、我々のような普通の人間が日常生活を送る空間と考えてよいであろう。
 「俗域」、つまり、日常空間(あるいは日常生活)との隔たりがあるからこその「聖」という存在が際立ってくるのではないだろうか。
 今回取り上げた作品は、「聖域」への「俗人」への侵入、そして「俗域」への「聖人」への降臨という観点が存在すると考えている。

 我々は無意識のうちに、日常生活・日常空間を取り囲む壁が存在していることに気が付いているのかもしれない。従って、この壁を乗り越えたものに対して異質な感覚を覚えるのであろう。
それが「俗」と「聖」の対立ではないだろうか。

■ 参考文献
・飯沢耕太郎著『写真について話そう』角川学芸出版、2004年
・深井晃子著『ファッションの世紀 共振する20世紀のファッションとアート』
平凡社、2005年

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