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August 04, 2006

「近現代美術」(第一課題)の添削結果

「近現代美術」(第一課題)の添削結果が返ってきました。
「客観的学術性に富んだ論」とか、「こまやかで粘り強い観察眼がうかがえ」、「詩的なレトリックもうつくしく」などお褒めの言葉を頂きましたが、文章の表記の雑さがマイナスだったみたい。
なんで「A」には届きませんでした...
でも、「B++」という評価、初めて頂きましたよ。

という訳で、かなり長いですが今回のレポートです。(ああっ、確かに表記がおかしい!?)
Iさん、参考になりますか?

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『近現代美術』レポート(第1課題)
「サルバドール・ダリと、ザクロの実から始まる連鎖」

1.はじめに
人は生と死の狭間で走馬灯のように人生を振り返るという。
死の間際を体験したことがないため、漠然としたものとなってしまうが、人が眠りから目覚めるまでの、つかのまの時間で見る夢もこれに近い体験ではないだろうか。
現実の世界ではほんの数分のことなのに、膨大な時間を夢の中で過ごしたと感じることは、誰しも経験したことがあるだろう。場合によっては、瞬きする程の時間であっても、その夢の中で経験したことが強烈な余韻(あるいは記憶)としていつまでも残り続けることがある。あくまでも頭の中だけの、擬似的な体験であるのにかかわらず。

2.ザクロから始まる連鎖
その夢の中の出来事を描き出したかのような絵画が、サルバドール・ダリの『目を覚ます1秒前、ザクロの実の周囲を1匹のミツバチが飛び回ったために見た夢』(図版1)である。
一見しただけでも強烈な印象を与えられる作品である。
虎が女性に襲いかかろうとしているかのように見えて、最後に女性を危機に陥れようとしているのはライフルに取り付けられた銃剣なのである。その銃剣が、女性の身体とスレスレの位置にあり、まさに危機一髪の瞬間にある。その危機とは裏腹に、女性は危機を知らぬままに無防備に、しかも無防備な状態に輪をかけるかのようなあられの無い姿なのである。まさに、見るものの心を揺さぶる作品であろう。

さて、この作品には、下記の2つの視点によって画面に対象が固定されているように思われる。
一つは「創造されたイメージの固定」であり、もう一つは「時間の固定」である。
まずは「創造されたイメージの固定」である。これは、テキストの中では「イメージの連鎖と飛躍」と表現されていることと同様であろう。
この視点では、夢という舞台のなかで繰り広げられる、まるで連想ゲームのように、一つの物・事象から芋づるのように連想される物・事象をそのまま絵の中に封じ込めようとするのである。
目覚めた後によく考えると、夢の中での出来事には矛盾が含まれていると再認識することが多いが、それでも夢が進んでいく間は、例え細かい部分に矛盾があっても、全体の流れのなかでは、矛盾と感じさせないまま、夢の中の時間が淀みなく流れていく。
この絵のなかでも、夢の中と同じように、連鎖するイメージを描き留めているかのようである。
ただし、この絵のなかでダリが描き出すイメージは、全てが悪夢へと繋がっているものである。これは、現実の世界で、ミツバチという存在が与える影響、たとえば、ミツバチの起こす羽音が、眠っている人間に対して不快感、更には恐怖感を与えるというマイナス面があるからこそ、夢の内容が悪夢として表現されているのではないだろうか、

では、「時間の固定化」という点ではどうであろうか。
ダリのこの絵からは、カメラのスナップショットのように、一瞬のあるシーンを切り取ったものではない。
この絵は、まるで、連続する時間をコマ撮りで撮ったあと、一枚に合成したかのようである。これは、デュシャンの作品『階段を降りる裸体№2』(図版2)に類似するものを感じる。デュシャンのこの作品では、階段を降りるという連続した動作によって、運動体と時間との関係を描こうとしたが、この作品では、人間の思考によって生み出されたイメージ、つまりイメージが連動することによって生まれた運動体と時間との関係を描こうとしているかのようである。
普通の絵では、連続する時間の、ある一瞬のみを捉えるという描き方するであろうが、ダリはこの行為によって、時間そのものを絵に封じ込めたとも言えるであろう。

3.ダリとシュルレアリスム
ピンと上を向いた口髭と目を剥いた風貌が印象的なダリは、20世紀を代表する作家であるとともに、20世紀前半に生まれたシュルレアリスムを代表する作家である。
シュルレアリスムは、ダダ運動に参加していた精神科医アンドレ・プルトンによって1924年に発表された「シュルレアリスム宣言」によってその存在が定義された「芸術運動」であり、「思想」であった。
シュルレアリスムは、「ダダの否定」を受け継ぐ形で第一次大戦後に登場したものであり、夢や無意識、そして非合理の世界を解決することによって、新しい価値を創造しようとした理論である。つまり、夢と現実が矛盾することなく一つの世界を形成する「超世界」を実現しようとしたものであった。
このシュルレアリスムのリーダは「シュルレアリスム宣言」を唱えたブルトンであったが、その地位を、みずからの行為、発言、そして何よりも作品によってダリが奪い取ろうとし、その企みに成功する。そしてダリはこのように述べる。「シュルレアリストと私との唯一の違いは、私こそがシュルレアリストであることだ」(1)と。
それにもかかわらず、1940年代の終わり頃、ダリはシュルレアリスムの理念を捨て、新しい表現を模索しようとする。しかし、そのような経緯を取りながらも、ダリは終生のシュルレアリスム作家であったといえるであろう。これは、シュルレアリスムからの逸脱を表明した後の作品『ポリト・リガトの聖母』(図版3)からも垣間見られる。宗教画でありながらも、その画面の中に紛れ込んだ様々な要素は、「連想されたイメージの固定」を示しているのである。

リアルで精緻な描写という現実感と、実際には存在しない架空の生物が闊歩し、空疎な印象で、生物の存在を否定するかのような空間という非現実感という、相反するものを共存させるダリの作品は、夢と現実が共存する「超現実」の世界を構築しようとするシュルレアリスムの世界観そのものを視覚化したといえるのではないだろうか。

4.ダリの手法
シュルレアリスムにおいては、実際の作品制作においては、「デペイズマン」や「オートマティスム」、「フロッタージュ」、「デカルコマニー」といった手法が用いられた。
しかし、ダリの特異な思考と、豊富な想像力によって、それらとは別の手法が生み出された。これが「偏執狂的批判的方法」である。この方法とは、「妄想的現象の解釈的批判的連想に基づく非合理的認識の自発的方法」であるという。
この方法について、ダリは、大衆が自分の絵を理解しなくても驚くには値せず、その理由として、「自分自身もそれらの絵を理解できないからだ」(2)と告白する。そして、加えて、「ひとたび絵が現象とすでに存在しはじめると、後発的にいっさいの解釈が発生してくる」(2)のだと言うが、本当にそうであろうか。
ダリのこの作品の中にあるイメージの連鎖には、シュルレアリスムの思想にある「自動記述」の如く、無意識によるイメージの連想が行われているように見えるが、実際には整然とした論理が存在しているように感じられる。つまり、無意識というよりも、意図的に組み立てた連鎖が表現されているように思えるのである
巨大でその体重の重さを創造させる象の胴体に、それとは反する節足動物のような華奢な足を持たせた不思議な生物の存在。しかも、その鼻の上には幾つかの物体が辛うじてバランスをとっていることで、この絵を見る者に対して更なる不安を増大させることになる。
同じことは、裸で横たわっている女性の姿、そして、その女性を含めて様々なものが宙に浮いた状態となっていることにも言えるであろう。
夢の中の住人やそれを取り巻くものが宙に浮いているということは、夢と現実の狭間に置かれた状態で時折感じる「浮遊感」のようなものを表現しようとしているのではないだろうか。

5.おわりに
 ダリの作品を何点か見ていくと、説明的なタイトルという共通点を持つ作品が多いように思える。特にこの作品は、その長いタイトルによって、絵の出来事の全てを語ることを試みているかのようだ。しかし、ここに何か落とし穴がありそうである。「タイトルで全てを語り尽くしている訳ではない。だから、もっとよく絵を見ろ」と逆の問いかけを投げかけているのではないだろうか。
 また、エロチシズムをストレートに発散しようとするという点も多くの作品との共通点であろう。例えば、同じシュルレアリスムの作家、ポール・デルヴォーの『夜の叫び声』(図版4)でも何人かの裸婦が描かれているが、ダリの女性から発せられるほどの強烈なエロチシズムは感じられない。ダリの画家としての描写力の凄さというものがあるかもしれないが、それにしては艶かしいほどの肌の質感である。
 そのような点を踏まえつつ、再度この作品を見ていくと、土台となる岩の側面に、テキスト内の図版では見えなかったものが存在するのに気が付いた。
そこにはダリとガラの名前があった。やはり、ダリの作品は侮れない。

■ 註
(1)  ジネ・ルネー著『サルヴァドール・ダリ 1904−1989』タッシェン、2004年、表紙折り返し部分より引用
(2)  イヴォンヌ・デュプレシ著/稲田三吉訳『改定版 シュールレアリスム』白水社、1992年、74ページから引用

■ 参考文献
・ 末永照明監修『【カラー版】20世紀の美術』美術出版社、2000年 
・ ジネ・ルネー著『サルヴァドール・ダリ 1904−1989』タッシェン、2004年
・ ロバート・ラドフォード著/岡村多佳夫訳『岩波 世界の美術 ダリ』岩波書店、2002年
・ マシュー・ゲール著/巌谷國士、塚原史訳『岩波 世界の美術 ダダとシュルレアリスム』岩波書店、2000年
・ イヴォンヌ・デュプレシ著/稲田三吉訳『改定版 シュールレアリスム』白水社、1992年
 

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