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July 2009

July 29, 2009

ともあれ一安心...

7/4の記事にも書いたけど、再入学後の最初の提出なのに、"D"を貰って、皆さんから「何で?」と言われて、ちょっと落ち込んでいた「学術基礎1」のレポート課題ですが、サイバーキャンパスで評価が出てました。

無事に合格しました~
お蔭様で、"S"評価です!?
先生に叩かれた分、気が引き締まったのかなあ...(苦笑)
専門スクの「フィールドワーク」についても合格なってたんで、一安心です。
でも、第二課題のあるレポート課題が未着手なんで、単位修得試験の申し込み期間を忘れないようにしないとね...

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■学術課題1 レポート(第1課題)
「書くという行為について」

1.はじめに
 著者は、テキストの冒頭で書くことのたのしさを述べる。そして著者は、テストや宿題などで強制的に書かされてきた人にとっては書くことは苦痛という思いがあるかもしれないが、それは書くこと自体のせいでなく、書くこと自体、つまり、鉛筆やペン、あるいはパソコンのキーボードなどで紙や画面上に文字を組み合わせ、文章を連ねて行くことはたのしいことであると述べる。
 その楽しさを「書くことのたのしさは、身を装うたのしさである」(1)と捉えている。

2.書くということ
 先に挙げたように、著者は書くことは楽しいことであると述べているが、それに加えて書くことを2つのポイントにまとめている。ひとつは、書くということは自己表現であるということであり、もうひとつは、書くことが記録として残るということである。
 ひとつめの自己表現について著者は、自分自身の考えや思いを文字や文章という形で表現することの多様性を述べている。例えば、同じ出来事を書き示すとしても、人によって様々であることは誰しも経験していることであろう。
 また、松岡正剛が「ここで筆跡遊びをしてみたい。筆跡に個性があらわれているとはいえないが、何かは あらわれている」(2)と述べているが、筆跡が他者に対して訴えかけるという点では、類似しているのでは無いかと私は考えている。
 しかし、私は、自己表現と言いながらも、常にありのままの自分を曝け出している訳ではないと思う。例えば、自分が他者にどうみられたいのかを念頭に置いて、言葉遣いを変えることで、文章から感じ取る印象を変えることができるからである。
これは、著者が、文章を書きながら、そこまでの文章を読み返すことで、常に自分を客観視できる点と同じことなのかもしれない。
 もうひとつの記録性について著者は、紙やパソコンに書いた言葉が視覚的に訴求するような形となってのこる点が、話し言葉が記憶に残る点と決定的にちがうと述べている。
 話すという行為も音声を記録媒体に録音することで後世まで残すことができる。しかし、話すときに常に記録装置を準備している訳ではなく、話したことを再生するにはそれなりの時間と手間を要する。
それに対して、書くという行為は、著者が「読んでいてこそ、そのつぎ書くものが効果のある書かれたものになる」(3)と述べているように、その場で同時に記録として残すことができる即応性・即時性と言う側面を持ち、しかも視覚的に訴えるため、他人に与える印象が強くなると考えられる。

3.日常における書くこと
 私の日常と照らし合わせてみると、書くことには大きく二つの目的があるのではないだろうか。
 ひとつは、仕事の備忘録やメモなど、後日自分自身で見返して再確認・再認識を行うことを目的としたもので、書く行為によって、曖昧な記憶を補完するための記録として成立し、加えて、収集した情報を整理するという側面があるだろう。
 もうひとつは、ブログの記事など、自分の考えや想いを他者に伝えようとすることを目 的としたものである。自分自身の記録として書く場合は自分だけが読めれば良いという部 分もあり、悪筆・乱文となりがちであるが、他者への伝えるために書く場合には、少なからず演出をしているように思える。それは著者の述べるように身を装うかの如く振舞っているからなのであろう。

 評論がそれぞれ、専門家の仕事になっていたとき、社会の出来事を生活者の
 立場から詩的感性を発揮して語った晶子の言葉には職業的評論家の書くもの
 にはない鮮度がある。
 なんでも分かったつもりで書くという厳しい批判もあったが(4)

 マニュアルや規定に沿って淡々と事実を客観的に報告する技術文書を書くこともあるが、与謝野晶子のように自分なりに記載内容を噛み砕いて書くという行為が加わったように思える。

3.書きたくないこと
 だが、人には書きたくないことが有ると思うが、それは書くという行為は、先に述べたように、常に記録性を持つため、書いたものが残ってしまうからである。つまり、書くことで、自分の考えや思いが生々しく記録として残されるのである。

 つまり、書くということは、心や頭のなかにあることを言葉が織り成す形に
 仕上げる ことによって、その人がどのような生をどう生きたかを告げている(5)

 時を経てから過去の文章を読み返すと、そんなことを考えていたのかと自分自身に対して驚きを感じることは誰しも少なからず経験したことがあると思うが、書くことによって生じる弊害と言うよりも、過去の自分からの手紙として捉えてみると、書くことの楽しさに繋がるのではと考えている。

4.おわりに
 著者は、文章を書くことの重要性をこのような言葉で述べる。

 一人の人間にとって、その人の資格を問われるようなときに、いつも書く
 ことがついてまわるのはなぜだろう、と考えてみよう。それは、書くとい
 うことが、人間にとって、とてもとても重要なことだからなのだ(6)

 これからの大学生活では、書くという行為の楽しさを前提とし、書くことが持つ役割や重要性を踏まえ、自分の言葉でレポートを綴るという行為を素直に楽しみたい。
【2081文字】

■ 註
(1) 木下長宏著『学術基礎 芸術学を学ぶ学生諸君のためのレポートと小論文の書き方』京都造形芸術大学、1998年、5ページ
(2) 松岡正剛著『講談社現代新書 知の編集術 発想・思考を生み出す技法』 講談社、2000年、2000年、189ページ
(3) 木下 前掲書、10ページ
(4) 羽生清著『装うこと生きること 女たちの日本近代』 勁草書房社、2004年、114ページ
(5) 木下 前掲書、11ページ
(6) 木下 前掲書、4ページ


■ 参考文献
・ 木下長宏著『学術基礎 芸術学を学ぶ学生諸君のためのレポートと小論文の書き方』京都造形芸術大学、1998年
・ 小倉久美子著『学術基礎補助教材 レポート執筆の基本・マナーのルール』京都造形芸術大学、2009年
・ 松岡正剛著『講談社現代新書 知の編集術 発想・思考を生み出す技法』講談社、2000年
・ 羽生清著『装うこと生きること 女たちの日本近代』勁草書房社、2004年


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「縫い」と「編み」!?

先日、東京都庭園美術館で開催中の「ステッチ・バイ・ステッチ」展のことを書いたけど、N経新聞の夕刊でも「縫うことや編むことを技法にしたアート作品」が紹介されてました。
庭園美術館での展覧会に関する記事も記載されてましたが、同様の企画として水戸芸術館現代アートギャラリーと金沢21世紀美術館で開催中の展覧会も紹介されてましたね。
本記事では、「身近な技術における表現の可能性」という言葉がありましたが、日常生活の行為がアートと極めて近い関係にあるというのを感じさせる記事でした。
先の記事で書いた清川あさみ氏の作品も水戸芸術館現代アートギャラリーに展示されているそうなので、水戸へ「夏の遠征」ってのも良いかもね〜(笑)

July 27, 2009

改編の正式アナウンス

うちらが卒制着手中にいろいろと噂を聞いていた(卒業着手生は先生たちと話す機会が多いので)、2010年度からの情デのカリキュラム改編が正式にアナウンスされましたね。
「グラフィックデザイン」と「イラストレーション」の2分野構成ということは、前者は現在の通信主務のあの先生がメインで、後者は通学のイラストレーションの面倒を観ている前通信主務のあの先生がメインということかなあ?
通学部ではイラストは描けるけど、イラストに至る発想が弱いという話なので、構想系はこっち(イラスト)に入るのかな?
あとは絵本とか。
グラフィックデザインの方は、タイポグラフィなどの基礎は勿論だけど、デザインの必要性、つまり「誰のためのデザインか?」を認識するために、企画系が組み込まれるのかな?
となると、映像系がどういう扱いとなるのか...

ともかく、この改編が落ち着いてくれないと、通信の大学院に情デ系ができないんで、上手く行って欲しいです!?(笑)

July 26, 2009

展覧会

暑いですねえ...
加えて南風が強くて、窓全開だと室内のものが風で飛んでしまいそうです!?

さて、昨日7/25の土曜日は、久しぶりに昼までゆっくり寝た後、先の記事で書いた展覧会を観るために都内へ出かけてきました。
まずは、目黒の東京都庭園美術館で開催中の「Stitch by Stitch 針と糸で描くわたし」を。
針と糸による刺繍、あるいはビーズなどの装飾品を対象物(必ずしも布とは限らない)に織り込むことで、自分の想いを描こうとする。それらが現代アートとして成立して工芸品とはならないのは、一見すると稚拙(ちょっと言い過ぎです...)で、整然とした職人技とはかけ離れているからかもしれないです。
でも、おいそれと真似出来る作品ではないと言うのは判りますよ...
一番の目当ては、村山留里子氏の作品だったけど、「気高い手(右手)」が良かったですねえ。
漆塗り(漆黒)の右手のオブジェにビースやフェイクパールなどを貼付けた作品だったけど、加えてスポットライトで映し出された羽毛の影が滅茶苦茶キレイでしたね!!
清川あさみ氏の写真に刺繍ってのも面白かったです。
ところで、この展覧会の図録では、デュシャンの「レディメイド」に対する「ハンドメイド」という解説が載ってて、既製品(糸)と既製品(布)とに人の手が介在することで、二つの物質の間に「アンフラマンス」な関係が生まれるというような言説があり、興味深かったですね〜

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ところで、この展覧会、刺繍が付いている服装で行けば100円割引だそうです!!

目黒から新宿へJRで移動して、新宿から徒歩で初台まで。
久しぶりに間近で都庁を見た...(建築物としても、いろいろ言われているけど)

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ここでは、オペラシティギャラリーで「鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ人」を観てきました。
やっぱり、この人の世界観は凄いなあ...
たまたま、ある本を読んでたら、自分も女性性は「刺繍を丹念にステッチしていく具体的な持続力」というようなことを述べてました。
「みみお」や人の脚を持つ狼や蜂などの想像上の生物が繰り返し登場して、神話を形成するのですが、想像を積み重ねることで生み出された世界と言えますね。でも、終盤には賛否があるかも...
下の写真は、先日Amazonで買ってしまった「みみお」の絵本と、表側が四種類あるチラシです。

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と、こんな感じの土曜日でした。
でも、ど忘れして、1年以上前に購入したものと同じ本を買ってしまった...(苦笑)

July 22, 2009

庭園美術館での展覧会

先日のスクーリング中に、麻布エリアをフィールドワークしてたら、家の窓に東京都庭園美術館で開催されている展覧会のポスターが二枚(同じもの)並べて貼られてました。

 "Stitch by Stitch 針と糸で描くわたし"

このポスター、M.モンローのポートレイト写真を思い出すなあ...

で、この展覧会に出展されている村山留里子氏は秋田在住のアーティストだとか。
確か21世紀美術館での展示作品を観た記憶があります。
ちょっと調べてみましたが、染色した布、ビーズやアクセサリを組み合わせたオブジェ作品など、私の領域とはちょっと離れてますね。
でも、女性的な作品と形容されることや秋田に根付いて活動している点など関心を惹かれました。
と言うことで、秋田出身の鴻池朋子氏の展覧会とともにチェックです!?

「写真基礎演習1」の添削結果

「写真基礎演習1」の添削指導評価書が戻ってきましたよ〜

一つのテーマ設定をすることで、何を感じてカメラを向けたかが伝わるものになっているというようなコメントを頂きました!!
制作コメントについては、「群を抜いてよいプレゼンテーションになっている」、あるいは「写真一枚一枚に強さを感じる」というような、好評価を頂いたんで、素直に嬉しいですね〜
また、交差点や信号待ちの人々を撮影した荒木氏の作品があるとのコメントを頂いたんで、探してみたいと思います。
その代わり、第二課題への期待がかなりのプレッシャーですが...(苦笑)

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July 21, 2009

スクーリング三日目終了(7/20)

昨日の三連休の最終日は、空間演出デザインコース専門スク「フィールドワーク」の最終日でもありました。
加えて、7月の「ゆるゆる学習会」(サテキャンの告知では「ゆるゆる会」になってた...、苦笑)の開催日で、学習会終了後は暑気払いを開催するという感じでイベント三昧でした。

二日目のフィールドワークの余波で体力的にちょっと疲れているのに加えて、帰宅後にいろいろあって精神的にも疲れていたんで、スクでは午前中が発表準備だったのに、上手く内容が整理できず...
とりあえず、ポイントと提示する写真の順番を決めておいて、後は流れで行こうと思ったら、どうしても準備しておいた写真では説明が不足するんで、昼食後に2枚コンビニで出力することに。
学習会に初めて参加されたHさんとNさんと一緒に昼食を食べた後、コンビニでSDカードからのプリント出力をしたら、焦っているときには大抵何かトラブルがあるもので(苦笑)、1枚目の出力終了後に、紙詰まりを起こして「店員を呼んでください」とのメッセージが!?
会社ならコピーの扉を開けてサッサとチェックするけど、コンビニのものを勝手にいじるわけにもいかず...
数分くらいの中断で済んだから良かったけどねえ。

午後の発表は各自5分が持ち時間で、5分経過で発表途中でもバッサリと発表を打ち切るシビアなものでした。
でも、最初に発表された方が5分ピッタリで終了させたんで、情デのプレゼン女王(?)Tさんを彷彿とさせましたよ~!?(笑)
テーマフリーなんで、それぞれの視点でエリアを廻られてて面白かったですね。
私はというと、前振りが長すぎて肝心の中身が薄くなった感じです。4分経過のベルがあったんで、当初予定していた後半部のオマケはバッサリ切って、結論に持ち込んだという状況でした。
仕事でもそうだけど、冗長を持たずに、簡潔に話すのがヘタですね...(苦笑)

そんな肉体的・精神的な疲れやストレスを発散するかのように、スク終了後は学習会メンバとの暑気払いに合流。
途中、卒業メンバ繋がりで空デの卒業生の方も召喚されたんで(笑)、ちょっとだけ空デコースの話もさせてもらいました。
二ヶ月振りの集まりでしたが、楽しい時間を過ごさせてもらいました!!
さてさて、これがモチベーションに繋がって欲しいですね~(と言いつつ、ちょっと反動が...)

July 20, 2009

スクーリング二日め(7/19)

スクーリング二日めは、都内でのフィールドワークでした。
新宿・四谷エリアと六本木・麻布エリアのどちらかを選択してのフィールドワーク。
いずれも過去に街歩きで行ったことがあるけど、愛宕山に登ってみたかったんで、六本木の方を選択しました。
それ以外は、テーマは自由と言うこともあり、いつものように行き当たりばったり、その場に行ってから考えることに。
先生から、麻布に釣り堀がある(元々は川の水源)んで、時間があれば探してみて、と言うコメントがあったんで、まずはそこを探すために麻布十番に移動しましたが、見つけるのが結構大変でした…(苦笑)
その後は、赤羽橋辺りまで南下して、愛宕山まで北上して、南麻布まで戻って、六本木に行ってと、ウロウロしまくりました!?
気温高いし、時折強い日差しとなり、バテてしまいましたよ…
坂が多いんで、運動不足が解消されたかなぁ!?
でも、今日のスクーリング、あんまり考えてないな…

July 19, 2009

三連休と東京スクの初日

この土曜日から東京サテキャンでの専門スクーリングが始まりました。
ほとんど曇り空(午前ほんの少しだけ雨が降ったけど)だったと言うのに暑い一日でしたが、今回のスクは「フィールドワーク」。
初日は小一時間程、サテキャン周辺を歩いただけだったけど、その暑さに閉口してしまいました...
フィールドワークの本番は、この日曜日なのに大丈夫か!?

今回のスクは、去年までは「イントロダクション」として京都のみで行われていたものだそうで、東京でのフィールドワークは初めての試みだとか。
来年度からも東京での開催が継続するかどうかはうちらの成果次第なのかなあ?(苦笑)
そうそう、「イントロダクション」ということで、空デ専任のT村先生とU田先生の自己紹介&過去の作品紹介がありました。
私が情デに入学した時には「情デの母」であるN原先生がおられて、実質、卒制作品への方向性を導いて貰った感じがあるけど、空デもT村先生の学生に対する細かなフォローを感じて心強さを覚えましたよ。
また、スクーリングに参加された他の方々の自己紹介を聞かせてもらうと、学校卒業後のヴィジョンがあって、とりあえずは、ゆるゆると学びの生活を続けて行こうとしている私は恐縮しまくりです...
情デ時代とは違った経歴や活動をされている方々なので、いろんな刺激を頂いて、モチベーションを高めたいですね〜

ところで、サテキャン近くの某パスタ屋さんで昼食を食べたんですが、ミートソースを頼んだら、ラビオリの間に挟んでるようなチーズが交じっているミートソースでしたね。
トマトソースのみのミートソースをイメージしてたんで新鮮な感じでしたが、「チーズ入り!?」と一瞬怯んだのは否定しません...(笑)

July 17, 2009

「写真基礎演習1」(第一課題)の結果結果

6月に提出した制作課題「写真基礎演習1」(第一課題)の評価がサテキャンに提示されてました。
実は情デ時代には、写真関係では「静止画」のスクーリング以外はレポート課題も制作課題もことごとく"B"評価だったんですよねえ...
卒制も写真使ってたのに。
企画書での写真の使い方がいいと、ランドのS我先生にコメント貰ったことがあったけどね。(リップサービス込み、笑)

で、この「写真基礎演習1」(第一課題)ですが、珍しいことに"S"でしたよ!?
今回は、基本的には卒制時の撮影方法である「低スピード(1/20~5秒)での連写」を使いながら、交差点を行きかう人々を捕らえたものを提出しました。なんで、全体のタイトルとしては"Crossing(交差点)"としました。
卒業後の4月から再入学書類が受領された5月下旬まで毎週のようにガンガンと写真を撮ってたんで、そのなかから選択したものなんですよね。(多分、1000枚以上撮ってたはず)
例えば、こんな感じ。

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ちなみに卒制の写真をそのまま出してみたらどんな評価が出るかもやってみたかったけど、さすがにそれはね...(苦笑)

ところで、いろいろと聞いてみると、情デの方たちは、所謂「類型学(タイポロジー)」的な写真が多いそうで。
学校のテキストでも、写真家のベッヒャー夫妻による作品(同じ種類の建築物・建造物を撮り続けたもの)が紹介されてましたが、近いものが有りますね。私もかなり前はそんな感じでしたが...

July 16, 2009

気になる展覧会(2009年7月)

今週のJDNには、印刷博物館で開催中の"GRAPHIC TRIAL 2009"での4名のアートディレクターと5名のプリンティングディレクターによるトークセッションの模様が掲載されてました。
興味深い内容でしたね~
「クライアントが提起したテーマをデザインで解決する」行為を常に行っているプロのデザイナーが、「印刷の可能性」を表現するためのテーマを自ら探し出す難しさや、新しいアイデアへのアプローチへの苦労が感じられました。
あと、「基本は変わらない」というところも面白かったですね。
会期が7/26迄なんで、来週の土曜日にでも観にいこうかなあ~
ちなみに、今週末の三連休はサテキャンでスクなんで、NGですねえ。


都内では、先週末から新宿の東京オペラシティーアートギャラリーで、鴻池朋子展「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」が開催されているそうで、こちらも気になっています!?
秋田出身という理由もない訳ではない...(笑)

July 13, 2009

「巨匠の食卓」評価

この週末のスクから帰宅したら、専門課題の「空間演出デザイン演習1−2」がポストに入りきらないということで回収されてました!?(笑)
と言う事で、定時後に早々に帰宅して郵便局まで引き取りに行ってきました!!

受け取った評価内容を見ると、詳細な評価基準は、
■ 課題の理解
■ 事例の調査情報量
■ レポートの文章表現
■ コンセプト、プランニングの内容
■ 食卓風景の表現
■ レイアウト
となってましたが、食卓風景の表現については今ひとつの評価でしたねえ...
平均すると、あと一歩だけど、努力点という感じで"S"にして貰ったみたいです!!

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Miwa_y002


まだまだ改善点満載ですが、評価とは違う部分で、先生と共感が得られたのが嬉しいですねえ〜!!

スクーリング三日目(7/12)終了

京都での「デザイン表現基礎」スクが終了しました!!
今日の京都は蒸し暑かったです。
学内がオープンキャンパスで見学者、在校者、教員達が入り乱れていた熱気もあったかもしれないけど、私がいた場所は会場からちょっと離れてたんで、その余波では無いと思いますが...

で、最終日は、午前は前日に引き続いて課題制作をしたあと、14時頃から合評というスケジュールでした。
実は、朝の5時前に一度起きてしまったら、課題のある部分が気になって、1時間半程作業してたんですよね。なんで、午前はちょっと作業に余裕が出来たんで、もう一パターン作ってみる事に。
最初に作ったのが、ガチガチの(地味な?)webでの展覧会情報サイトという感じだったんで、ポスターぽいのを作ってみた次第です。

オリジナルの写真がコレ。

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都内のA坂サカスのカフェを撮ったスナップショットを、フォトショップのフィルタで加工したんだけど、その際、エドワード・ホッパーの"Nighthawks"で使っている色を抽出して、写真を塗り直しました。影を作って、再度フィルタの照明で全体を調整してと地味な作業をしたあとはレイアウト。
あっ、残念だけど店員の女性には消えてもらいました!?(笑)
ちなみに文字は、アメリカで20世紀に生まれた書体を選びましたよ。
そして、できあがったものがこれ。

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もうひとつがコレ。

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モチーフにした作品が「夜」だから、そんなイメージの言葉を探してたら「宵」が浮かんだんで、辞書を調べて"Vesper"=「宵の明星」という言葉を選びました。
これ、「007/カジノロワイヤル」に出てくるJ.ボンドが好きになる女性の名前でもあります!?
そんな感じで「地味に楽しんで」制作したけど、最後の詰めが甘く、自分でもちょっと手を抜いたかなあ、と思ったところが総評のときに指摘されました。
それは、一枚目の作品での角丸長方形部分の形状の処理と、その中に入れた文章の文字間隔、二枚目の作品での日時の文章と時間の文章との間隔の扱いなど。
まだまだですねえ...
それよりも、他の皆さんの発想やセンスは素晴らしいです!!
技術は回数や時間などの経験で深められますが、それらは簡単には得られませんからね〜

July 12, 2009

スクーリング二日目(7/11)

この土曜日も引き続き、空デのスク受講中です!!
座学の内容が、矩形の縦横比やタイポグラフィの事などのデザインの基礎だったんで、忘れてたことを再確認いる感じです。でも、すぐに忘れそうだけどね...(苦笑)
最終日は合評があるんだけど、今の時点では「無難すぎる」制作内容なんで、このまま精度を上げるか、違った方向へと見直すか、考えないといけませんね〜

スク後に人間館に情デの様子を見に行ったら、U原先生が居たんでちょっと話をさせて頂きました。
この二日間では、空デの人よりも情デの人との会話が多いなあ。(笑)

ところで、ホテル(四条烏丸)の周囲では、来週の山鉾巡礼に備えて準備が着々と進んでます。
そう言えば、7月の京都スクに来た事は以前もあったけど、山鉾建て途中のものを見たのは初めてかも。

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上から、菊水鉾、函家鉾、長刀鉾になります!!

July 11, 2009

今年度最初のスクーリング

昨日から空間演出デザインコースの専門スクーリング「デジタル表現基礎」を受講してます。
情デでも類似のスクがあるけど、言わば、フォトショップとイラストレータの基礎講座ですね。
東京で受講したら、担当は情デのI高先生らしいです。
操作が出来ても自己流だし、バージョン違うと操作が変わるんで(スクで使ってるのはエレメントだし)、無駄にはならないかな。
初日は、フォトショップの操作とデジタル環境での色表現の座学、制作課題として、写真をフィルタ等を使って絵画的に変換した作品を作ると言った感じです。
単に変換するのではなくて、実在の作家の未発表作品と過程することが前提条件となってました。
最初は、ダリかミュシャにしようと思ったけど、最終的にはエドワード・ホッパーになってしましたよ。

ところで、7月の京都は祇園祭の真っ最中。来週の巡礼の準備中ですねぇ~

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July 09, 2009

「空間演出デザイン演習Ⅰ-2」のこと

この金曜日(7/10)からは、京都で空デ専門のスクーリング受講予定です!!
今のところは何とか出席できそうだけど、過去の例もあるので、ギリギリまで安心できません...(苦笑)

ところで、先日の記事で、空デに再入学して初めて提出した「空間演出デザイン演習Ⅰ-2」の結果が出たことを書いたんで、その話を。

この課題は、自分で好きな、あるいは気になる作家(アーティストやデザイナー)を選んで、その作家と自分がコラボレーションした場合を仮定し、「巨匠の食卓」というもてなしの空間をテーブルの上に構築するというもの。
制作物は、作家の紹介や作家・作品にまつわるキーワード、コンセプトなどを説明するプレゼンシートと、実際に制作した「食卓」の写真を提示するシート、制作レポートの3点になります。

で、私が選択した巨匠は、現代美術家のやなぎみわ氏です。
5月の学習相談の際に、「巨匠」の範囲をどう捉えるかを相談させて貰った時には、過去の作品では、アーティストやデザイナーだけでなく、小説家なども居たそうで対象とする範囲は広いとのこと。ただ、あまりコアな人を選んでしまうと、見る側(評価する先生)が消化できず、テーマが伝わらないだろうとのコメントがありました。
相談した時点では、ヘルムート・ニュートンだったけど、先生に名前をバラしてしまったんで、春に写美で展覧会を観た、やなぎみわ氏にした次第です。(ちなみに、やなぎみわ氏は、数年前は通学の情デの客員教授だったけどね)
実は、学習相談では旧知のK合先生が居て、「巨匠って、情デのN山先生じゃないですよね?」と聞かれたんだけどね(笑)

では、また添削結果を貰ってないんで、まずは、制作レポートを提示しますね。

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1. はじめに
数年前、横須賀美術館で情報デザインコース生と教員による交流会が開催されたが、この日に、同美術館に現代美術家のやなぎみわ氏が見学に来ていたことを交流会に参加されたN山先生に教えて頂いた記憶がある。通り過ぎたのを見かけたとのことであったが、このときに開催されていた澁澤龍彦氏の「幻想美術館」と彼女との組み合わせを、N山先生とともに妙に納得した記憶がある。
このときには、既に「フェアリー・テール」シリーズ、と言うよりも、このシリーズで生まれた「砂女」の印象が強く残っていたため、彼女の知的でクールな外観とはうらはらな「幻想」と言うキーワードが、ピタリと嵌ったように思える。

2. 作品の世界
では、彼女の作品を振り返ってみよう。
まずは、「エレベーター・ガール」シリーズは、百貨店という場所において、同じ制服を纏い、髪型や化粧も統一した無表情な女性たちが無数に存在する異質な空間を描き出した。
この作品は、百貨店の言う「ハレ」の場に、女性のフィギュアを並べているかのような非現実感を加える事で、一層日常と乖離している感があった。
「『エレベーター・ガール』についていえば、視点が冷たいですよね。ときどき男性作
家だと思っていたといわれますが、男性ならきっとああはならない(笑)。」(1)
制服や靴にフェティシズム的な要素を感じるが、エロティシズムというか、性差を強調するものではなく、モデルそれぞれの個性を突き放すかのような冷静な視線を浴びているのである。先にフィギュアと書いたが、規格化された女性だけで構成される社会の違和感を見せつけようとしているように感じる。

「エレベーター・ガール」シリーズの後には、「マイ・グランドマザーズ」シリーズがスタートするが、このシリーズは、複数のモデルからのインタビューから得た「半世紀後の自分の姿」という、個々が有する想像の世界の視覚化を試みる。
しかし、半世紀後の時間の経過は、おのずと自らの肉体が衰えて行くという宿命が存在し、必ずしも理想とする未来像ではなかったと言えよう。
「モデルにも、私にも、身体が衰えることへの恐怖についてはもちろんありますが、もっとも恐れていることは一度やってみるに限る訳で」(2)
老いと言う道を進む中で、やなぎみわ自身とモデルが想い描く未来像の共通点や、同じ性を持つ女性達が、老いと言うことについて、どのような感情と抱いているかを確認するのがこの作品で主題ではないだろうか。

「最初は「語る女性」と「語られる女性」で作品をつくろうとしていたら、ガルシア・マルケスの『エレンディラ』に巡り会った。ほとんど感情のわからない美少女と、欲望丸出しのおばあちゃんが、テントで二人、旅をする物語です。」(3)
「フェアリー・テール」シリーズは、『エレンディラ』からインスピレーションを得たと述べるように、少女と老女、あるいは無垢と無慈悲をいう対立構造を込めた作品であった。そこには、無垢であるかゆえに自覚せずに残酷な行為を繰り返す少女が居たり、あるいは、無慈悲と言われるがゆえに孤独な老女が居たりするのである。

3.異性の不在
ところで、「マイ・グランドマザーズ」シリーズで男性の姿を垣間見る事はあっても、それは全作品中の数点でしかない。
「エレベーター・ガール」シリーズや「フェアリー・テール」シリーズでは、男性の姿は皆無である。そのように考えると、やなぎみわの作品世界とコラボレーションするとなると、女性主体の世界とどのように向き合うかが、一つのポイントになるであろう。
タカラヅカのような、女性だけが演じる虚構の空間ではあるが、女性が理想とする上辺だけの虚飾の世界ではなく、剥き出しの感情が表現された世界である。
そのような女性だけの世界で、老若、虚実、生と死、などの対立構造が入り混じり独特の世界観を生み出するのである。

4.おわりに
「これまでのやなぎの作品では虚構と現実を同居させつつ、やなぎ独特のファンタジー
が展開されてきたが、この新作ではファンタジー的側面を保ちながらもリアリティに向かっている。」(4)
個人的には、特殊メイクとCGを組み合わせて、写真という媒体に落とし込むことに興味があったが、最近の新作ではモデルの実年齢に近い設定のため、特殊メイクの使用は抑えるものになっているとのことである。
今年の第53回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館での展示を経て、独自の世界観を深めていくことになるのか、あるいは他の領域への拡大し、その独自の世界観を薄めていくことになるのか、その動向と生み出す作品を追いかけていきたい。

■ 註
(1)斎藤環著「アーティストは境界線上で踊る」みすず書房、2008年、78ページから引用
(2)斎藤環著「アーティストは境界線上で踊る」みすず書房、2008年、76ページから引用
(3)「美術手帖―特集 いま読むべきアートブック300」芸術出版社、2009年1月号、84ページから引用
(4)東京都写真美術館/国立国際美術館監修「やなぎみわ マイ・グランドマザーズ」淡交社、2009年、125ページから引用
■ 参考文献
・斎藤環著「アーティストは境界線上で踊る」みすず書房、2008年
・「美術手帖―特集 いま読むべきアートブック300」芸術出版社、2009年1月号
・東京都写真美術館/国立国際美術館監修「やなぎみわ マイ・グランドマザーズ」淡交社、2009年

July 08, 2009

いろいろと

先週からちょくちょくと会社の工場へ出張してたけど、今日で一段落(万事問題無しでは無かったけど、苦笑)したんで、工場の最寄りの新幹線駅近くに在住の昨年度卒業メンバにアクセスして、晩御飯を一緒に食べてきました!
一時間半くらいの時間でしたが、近況報告などを。所属は違うかもしれませんが、縁があれば京都でお待ちしてます!?(笑)


さて、この出張中で10日のレポート課題提出締め切りに間に合ったら何か出そうと考えたけど、行きの新幹線の中で参考文献読んだだけで、頓挫しました…(苦笑)
昨日は、仕事明けに出張者達で軽く呑んだら、早起きと疲れのせいもあり、24時前に寝ちゃいましたからねぇ…
今月の提出は打ち止めですよ。


その代わりに、先月提出した専門の制作課題の評価結果がサイバーキャンパスに提示されてました。
空デ編入の最初の提出になるんで、どんな評価結果が出るか、ドキドキしてたら、なんとS評価でした!?
ホントかよ、と言うのが、正直なところ。
提出した直後に参考作品を観て、失敗した、と思ってたのに…
今後の提出のハードルを上げられた感じですよ~(苦笑)

July 07, 2009

ペースダウン

7月最初の週末は、2日とも日中は自宅で籠ってたのに、当初の課題消化予定通りには進まず、着手したのは、結局は再提出となった「学術基礎1」のみでした...
やっぱり、6月に一気に手がけた分、反動があったかもね〜(笑)
でも、この「学術基礎1」では、この何年間やってた参考文献の引用の仕方が間違ってた事に今更ながら気付かされましたよ。なんで、副読本を見ながら反省しまくってます(苦笑)
そう言う細かい部分がおざなりになってたのが再提出の最大の要因ですかねえ...

ところで、今月から少しづつスクーリングへ出席することになるんで、今までのように、テキスト課題(レポート、制作とも)を週末に集中して行うパターンでは対応が厳しくなりそうです。
でも、初年度は、仕事もここ数年よりは負荷が軽いんで、今のうちに課題を進めておきたいところですね。
ちなみに、今度の週末は、仕事が片付けば、久しぶりの京都スクですよ〜!!

July 04, 2009

『学術基礎1』レポート課題の評価結果

「学術基礎1」と「写真概論」(第一課題)の添削指導評価書が戻ってきました。

まずは「学術基礎1」ですが....
5年前に提出したときよりも添削が細かいです!!
添削コメントの量も、レポートへの朱書きも多かったりして。(苦笑)

具体的な評価ポイントは、以下のような感じでした。
・課題の理解:A
・形式の正確さ:D
・表記の正確さ:B
・具体性:C
・独自性:D

再提出となった要因は、引用表記のやり方が不十分ということと、作者の主張のまとめが不十分なまま持論を展開していること、そしてテキストの筆者の意見なのか自分の意見なのか不明確な部分があるというものでした。
確かに、引用の仕方などは、他の課題ではあまり指摘されない部分だけど、「学術論文を書くためには」ということに立ち返ると、結構おざなりになっているところを指摘された感じですねえ...
(「京都学」は、引用の記述を厳しくチェックされた記憶がありますね)
しかし、これほど評価ポイントがばらつくとはね。(苦笑)

July 03, 2009

「メディア論」レポート(第一課題)

と言う訳で、反面教師シリーズ(笑)の第2弾です。
以前の記事にあるように、情デ時代の最終年度(つまり昨年度)に提出して"C"で合格はしたけど、内容ボロボロだった課題です。なんで、第二課題には進まず、情デ卒業!?
今回は反省を込めて再チャレンジした訳ですが...

具体的な評価は下記のようなものでした。
・課題理解:A
・形式の正確さ:B
・表記の正確さ:A
・具体性:B
・独自性:A

今後の課題(改善点)について幾つかコメントを頂いており、「はじめに」の部分の記載内容や、自分の経験を論じることで具体性や独自性が高まったのではないかとのことでした。

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『メディア論』(第一課題)
「メディアがもたらしたもの」

1.はじめに
 辞書においては「メディア」には「記録・保管のための媒体」という意味と、「コミュニケーションのための媒体」という二つの意味がある。
 情報メディアという場合には、主に後者の「コミュニケーションのための媒体」という位置付けで考えて行くことになるが、そもそも、現在のコミュニケーションの在り方がどのように変わってきたのかを考える必要があるだろう。
 活字メディアの誕生以降、その情報を発信する者が、受信する者と必ずしも同じ場所に存在する必要性が解消されたと言える。
 電話のようなメディアでは同じ時間を共有するというリアルタイム性が残っているが、活字メディアでは、時間すら共有する必要性がなく、時間と言う「縛り」を簡単に超越してしまったのである。そして、活字が本などの形態、あるいはテレビがビデオテープなどの形態へと置き換わることで、「コミュニケーション」のメディアは、「記録」のためのメディアへと変化するのである。
 これによって、先に述べたように、メディアは距離と時間を超越するものへと転化したのである。

2.メディアによる身体の喪失
 フィクションではあるが、サイバーパンクという言葉の先駆けとなったSF小説「ニューロマンサー」(著作:ウィリアム・ギブスン)や、ジャパニメーションの代表作である映画「攻殻機動隊」(監督:押井守)のなかでは、人間の中枢神経に直接ネットワークを接続する光景が見られる。
 情報がダイレクトに脳へ流れ込む状態では、身体の持つ「五感」を介して情報を得る必要がなく、身体は脳を収める「器」でしかなかった。つまりは、身体が喪失している状態にあるといえよう。
 これらは、小説や映画は空想上の世界であり、現実の世界では実現されていないが、ラジオやテレビを介して、遠隔地からの情報を即時に得られる状況は、つまり先に述べたような情報を発信するものと受信するものとが離れていることが、伝達すべき情報の内容や質に変化を与えてきた。このような変化が「メディアによって身体が喪失される」と言われる理由であろう。
 このように、現代社会においては身体の行動範囲の拡大とは逆に、情報の入手に関しては身体を行動させる必要性が排除されたと言えるのではないだろうか。
 そのように考えると、情報を扱うシステムの複雑化・高度化しているにも関わらず、情報が、身体、特に脳に対して直接的な刺激を与えるかの如く、「情報の短絡化」は行われているようにも思える。
 これらの2つの観点、「行動の必要性の排除」と「脳への情報の短絡化」については、マクルーハンによって「電子メディアにより地理的距離が無化され、電子的に媒介された同時的な場が至るところに出現」し、「電子メディアの浸透が、人々のコミュニケーションを線形的で視覚的な形態から包括的で触覚的な形態に移行させる」という言葉で述べられている。(註1)
 先に挙げた「ニューロマンサー」では、コンピュータ・ネットワーク上に構築された仮想の共有空間である「サイバースペース」において、身体を現実世界に置いたままで、意識がサイバースペースを「仮想的」に行き来する様が述べられる。身体の行動は伴わず、しかも視覚など身体が有する感覚器官を経由せず、神経系の有するある種の「触覚」によって、擬似的に全ての感覚を体験する様は、架空の小説であるにも関わらず、マクルーハンの言葉を具現化しているかのようである。

3.情報の短絡化
 では、このようなメディアの高度化によって身体が「喪失」しているのであろうか。どちらかと言えば、身体がメディアと化しているようには考えられないであろうか。
ウォルター・オングは「言語表現のテクノロジーと社会の集団的思想様式の深い結びつき」(註2)という言葉でメディアと社会の関係を述べる。
それは、メディアの進化において、人間の五感については、初期は視覚を強く必要としたのに対して、それに聴覚が加わり、更には触覚が加わることになったことを意味する。例えば、ネットワークを介して情報を得ようとする場合のキーボードやマウスの使用に対して、触感が与える影響は極めて大きいものだろう。
 従来のメディアが、一つの源から水面へ一滴ずつ水滴が垂れ、その水滴によって波紋が広がっていく状態であるとすれば、現代のメディアは、至るところに同時多発的に、単一、あるいは複数の源から水滴が垂れ、幾つもの波紋が広がっているような状態のように思える。
 源を一つとすれば関係性が保たれているが、複数の源を有するために、それぞれの関係性が強固に保たれている訳ではないのだ。
 「ところが、電子メディアは、中枢神経系の拡張であって、これは包括的で同時的な領域にほかならない。電信の発明以来、私たちは人間の脳と神経を地球全体に拡張させてきた。その結果、電子時代は実に不安な時代となった。人間は、頭蓋骨を内側に入れ、脳みそを外側に出して耐えている。私たちは異様に脆弱となった。」(註3)と言うように、現代のメディアにおける情報の短絡化は、すなわち情報の選択を受け手に委ねることなのだろう。
 このように、情報が選別されず直接伝達されるような短絡化された状況ではどのような影響をもたらすのであろうか。
 本などの印刷から情報を得る場合に能動的活動を必要としていたことが、ラジオ・テレビのような受動的活動への転換、そしてネットワークの高度化や、パソコン、携帯電話などのモバイル機器の普及によるメディアの拡張によって、メディアを介した情報の受け手が、更には情報の発信者になることにより、双方向のやり取りが生じ、しかも、その情報の信憑性も定かではない状態で、口コミ的にネットワークに発信されるという現在の状況は、メディアの多様化という側面だけでなく、新たな問題も含んでいることを認識する必要がある。
つまり、「ところが、新しく現れた電子テクノロジーは閉鎖体系ではない。中枢神経系の拡張として、認識、相互作用、対話を行なう。この電子時代には、テクノロジカルな道具どうしの共存が本当に即時的に起こるという本質が人類史上きわめて新しい危機を生み出した。私たちの拡張された能力や感覚は、今や単一の経験領域を構成しており、この領域は、能力や感覚が中枢神経自体のように集合性を意識するようになることを求めている。」(註4)と言うように、メディアの進化による利便性を掲げるだけではなく、「新しい危機」として捉えなければならないのではないだろう。

4.おわりに
 冒頭で挙げた『ニューロマンサー』では、自分自身の視覚と、別の人間が体験する感覚をそのまま転送する「疑験」という装置を通じた他者の視覚とが転じるようして物語が進んで行く。他者の感覚まで複製するメディアの将来像。しかし、あくまでも架空の話であり、何よりも、「最高の完成度をもつ複製の場合でも、そこにはひとつだけ抜け落ちているものがある。芸術作品にはそれが存在する場所に一回限り存在するものだけれども、この特性、いま、ここに在るという特性が、複製には欠けているのだ。しかも芸術作品は、この一回限りの存在によってこそその歴史をもつのであって、そしてそれが存続するあいだ、歴史の支配を受けつづける。」(註5)という論説にあるように、メディアによる複製と、それらの伝達・保存がもたらした身体や社会の影響は大きいものではあった。
特に、近年のネットワークの社会の拡大によって、そのネットワーク上に多くの電子メディアが存在する状況では、粗雑な複製が多数存在するという危うさとともに、デジタルデータという全く同じものとして複製できるという特性も孕んでいる。このような完全な複製が得られるとすれば、そこにあるオリジナルと複製との差分や価値を明確にしなければならない。
例えば、電子メディアにおける安易なコピー&ペーストにより、時間が経つにつれて、あるいは人から人へと伝達していくなかで、それが元々は誰のものなのかということが判らない状況を排除するために、電子署名などの技術的手法で回避することも一案であろう。
メディアの特性が問題点を述べてきたが、「新しいメディアの登場に伴う環境の変化そのものが「メッセージ」となって、私たちに影響を及ぼす」(註6)の言葉にあるように、パソコンや携帯電話のような情報の発信者が受信者を兼ねる「新しい双方向のメディア」によって掲示された問題がクリアされることを望んでいる。

■ 註
(1) 吉美俊哉・水越伸著『メディア論』放送大学教育振興会、2001年、94ページより引用
(2) 吉美俊哉・水越伸著『メディア論』放送大学教育振興会、2001年、93ページより引用
(3) 宮澤淳一著『マクルーハンの光景 メディア論がみえる』みすず書房刊、2008年、8ページより引用
(4) 宮澤淳一著『マクルーハンの光景 メディア論がみえる』みすず書房、2008年、10ページより引用
(5) 多木浩二著『べンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』岩波書店、2000年、139ページより引用
(3) 宮澤淳一著『マクルーハンの光景 メディア論がみえる』みすず書房刊、2008年、107ページより引用

■ 参考文献
・ 吉美俊哉・水越伸著『メディア論』放送大学教育振興会、2001年
・ 宮澤淳一著『マクルーハンの光景 メディア論がみえる』みすず書房、2008年
・ 多木浩二著『べンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』岩波書店、2000年
・ 佐藤卓巳著『メディア社会』岩波書店、2006年
・ 五十嵐太郎編『建築の書物/都市の書物』INAX出版、1999年

July 02, 2009

写真概論』レポート(第1課題)内容

まだ添削結果が返ってきてないですが、例の如く(?)、反面教師として提出したレポート内容を掲載していこうと思います。
まずは、最初は、初めて(二度とないかも!?)のS評価となった「写真概論」の第一課題です。
現代における絵画主義の可能性について論じるというような課題ですが、セレクトした写真・作家はどちらかというと現代アートに偏っているような気が..
まあ、個人の趣味の現れということですかねえ。(笑)

手前味噌で、自分の卒制作品を参考作品として使っちゃいましたよ~(苦笑)

---

『写真概論』レポート(第1課題)
「現代写真における絵画主義の可能性」

1.はじめに
 「ごく初期から、写真家たちの中には写真を単なる記録手段ではなく、美的、あるいは芸術的な表現として認めさせたいという欲求がありました。」(1)
 写真が、カメラという装置を媒体とする単なる記録メディアであるとすれば、報道写真のように、過去の事象を記録・再現するだけが目的となってしまうであろう。
それに対する流れが、絵画主義(ピクトリアリズム)の始まりであった。
 写真が、言葉通りに写実的なものであるとすれば、絵画主義は、写真の「そのものを忠実に記録する」という側面を、人の手を介することで違ったものへと転化させようという試みだったと言えよう。
 絵画には、作者による解釈を折り込むことができる。ディフォルメや省略などがそれに当たるが、それらの「演出」によって、対象を際立たせて、鑑賞者の視線を対象へと誘うことができるのである。
 テキストに記載されている絵画主義の流れの衰退を鑑みると、第一次世界大戦前夜という歴史上の大きな節目の存在を大きく感じてしまう。この時期は、アートやデザイン、建築などにおいても大きな変革が見られた時期であった。

2.絵画主義の可能性
 では、現代における絵画主義の可能性とは何だろうか。
 例えば建築であれば、モダンのあとのポストモダンのように、それまで主流としていたものから、大きくリバンドするかのように、それまでとは反対方向へ向かう時があった。
実際、笠原美智子によると「画家になれない二流の画家がアーティストと認められたくて無批判に絵画の手法をならい写真を写真でないものに転化させる、絵画にとっても写真にとっても裏切り者の手口だと、ストライドは絵画主義を切って捨てる。」(2)とあるように、写真家ポール・ストライドと彼を支持してきた写真家・批評家によってアメリカン・モダニズム写真が確立し、絵画主義が衰退していく。
 しかし、表現方法が多様化する現代であるからこそ、絵画主義も写真表現の一つとして見直されても良いのではないだろうか。
絵画主義の復権には、二つの側面があるのでは無いだろうか。
 一つはテクノロジの変革であり、もう一つは撮影者の意識変革である。
 ひとつめのテクノロジの変革については、下記のような論述がある。
「一般へのインスタント・カメラやプリクラの浸透、近年のデジタル・カメラ、写真機能付きの携帯電話や高品質のカラーコピーの普及は、高度な技術を今後もますます広く、安価に提供していくだろう。(中略)絵筆や鉛筆よりもカメラやコピーのほうが身近な表現方法なのかもしれない。」(3)
つまり、操作が簡単なコンパクトカメラの普及は、入学や結婚などの行事・祭事、あるいは旅行などの記録としての写真を取る行為を一般化したが、近年のデジタル化、特にデジタル一眼レフカメラの普及は、テーマやモチーフを追い求める個人の趣味や興味に基づく写真の撮影を促すこととなった。
 中高年層が、趣味として筆を取り絵画を描き始めるよりも、カメラで撮影をするほうが簡単に早く結果が得られるであろう。だが、その撮影という行為が身近なものになったとは言え、それがすぐに現代における絵画主義の可能性に結びつく訳ではなく、もう一段次のステップが必要だろう。
 もうひとつは、撮影者の意識変革は、先に述べた「個人のための写真」という考えの延長上にあるものである。
現代アートと言われる作品には写真を使ったものは少なくない。
「加えて、80年代以降、美術と写真のジャンル間の境界が曖昧なものと化していったが、それは写真のもつ多様な叙述機能を美術が援用したことに拠っている。」(4)
 また、商業主義的な撮影という側面と、個人的な撮影という側面とを考えると、テクノロジの進歩により、カメラが個人の身近な存在となってきたことも重要な要素だろう。
「学部や大学院での専門教育を受けた人が増えるにつれて写真への関心が高まり、裾野が広まって多くの人々が美術館で「作品」として写真を見ることに親しんでいる。(中略)こうした環境の変化は、写真のあり方に大きな変化をもたらした。写真の分化、すな
わちアーティスト(写真家)の表現としての「現代写真」(シリアス・フォトグラフィという言葉が使われている)と、第三者のなんらかの意図のもとで制作された「コマーシャル写真」の分化が促進されたのである」(5)
個人の趣味としての写真撮影から、写真の専門知識を習得して撮影技術を高めるだけではなく、そこに写るもの、あるいは写し出そうとするものをどのように表現したいのか、という発想や思考、感性も求められるようになっているのである。

3.現代写真から
 それでは実際の作品を見ながら、現代写真における絵画主義の可能性を考えてみたい。
 最初に挙げるのは、蜷川美花の作品である。花は、彼女が写真作家として長い間モチーフとしているものであるが、旧来の絵画主義の手法(ゴム、オイル、ソフト・フォーカス・レンズなど)はまったく使われておらず、どちらかというとストレート・フォトグラフィー的な作品である。
 この作品に限らず、彼女の作品から強く発せられる「色彩」の印象は、人為的に着色したのではないかというほど、見るものを惹きつけ、まるで絵画を見ているようである。
このような、実物とは必ずしも同じ色調を再現していないかもしれないが、作者が感じたままに色彩を表現するというのも、一つの可能性ではないだろうか。

■ 蜷川美花、「Earthly Flowers, Heavenly Colors」、2008 
  ※レポートには図版あり

 次に挙げるのは、志賀理江子である。
 手法としては、絵画主義的ではあるが、写真を絵のように見せたいのではなく、写真という媒体に時間を封じ込めているにも関わらず、その写真に対して後処理を加えることで、違う時間を折り重ねようとしているかのようであり、彼女が感じ取った場や人の痕跡が、一枚の写真に再構築されているのである。
彼女は「その時間の証拠品」という言葉で自分の作品を述べているが、ストレート・フォトグラフィーのような写真表現だけが時間を切り取る方法ではないということであろうか。

■ 志賀理江子、ベスニー、2005
  ※レポートには図版あり

 東京のオペラシティで開催された『トレース・エレメンツ―日豪の写真メディアにおける精神と記憶』展で展示されたジェーン・バートンの作品は、「シュルレアリストの写真、心理学、神話、寓話、エロティシズム、そして象徴主義を下敷きにした写真の歴史によって特徴づけられたモノクロの写真シリーズ」(6) と紹介されている。
 デジタルによる二重露光と暗室作業という過程を経て生み出された作品は幻想的であり、また、同時に闇からの誘いという不気味さも感じてしまう。絵画主義と同様に撮影後の後処理によるものであるが、生み出す世界観が異なれば、その写真の中で表現されるものは多彩なものとなるだろう。

■ ジェーン・バートン、ワームウッド(ニガヨモギ)#1、2006~2007
  ※レポートには図版あり

 やなぎみわは、デジタル表現を写真に織り込むことで、明確に見えるテーマの奥に、もうひとつのテーマを隠そうとしているかのようである。コンセプシャルなアートの側面を写真という媒体で表現している、現代のピクトレアリストの代表格ではないだろうか。
 エレベータガールシリーズでは、デパートというハレの場を、同じ衣装・化粧をした女性たちが充満する空間として表現している。
また、マイグランドマザーシリーズでは、他人の将来を想定した姿でありながらも、見るものが自分の将来(のひとつの選択肢)として捉え、他人のプライベートな部分やプライバシーを他者が共有するという側面もあった。
写真を使用したインスタレーションなども含めて、個人の思いや考えを伝えるための手段として現代アートとの融合はこれからも多く見られることであろう。

■ やなぎみわ、The White Casket、1994
■ やなぎみわ、My grandmothers/MIE 、2000
  ※レポートには図版あり

4.おわりに
 1920~30年代に生まれたコラージュやモンタージュ、ソラリゼーションなどを含めて、多くの写真表現が見られるが、いずれにしても写真という媒体を介して何を見せたいか、伝えたいかという撮影者の意思が重要であると考える。
 ここで、最後に自分の写真を挙げておく。

Ter


シャッター速度を遅くすることで揺らぐ画像が、記憶の痕跡、あるいは曖昧さと合致するのではないかという考えで撮り始めたもので、デジタルのカメラで撮影したものであるが、レタッチ等の後処理はまったく行っておらず、撮影直後にモニタでチェックしながらモード設定や構図を変えて、何度かリトライしながら撮ったものである。
3年くらい前から始めた撮り方ではあるが、撮影枚数が気にならないことも含めて、デジタル化によって自分自身の写真の絵画主義化が促進したかのようにも思える。
【3576文字】


■ 註
(1) 飯沢耕太郎著『講談社現代新書1287 写真美術館へようこそ』講談社、1996年、44ページから引用
(2) 笠原美智子著『写真、時代に抗するもの』青弓社、2002年、172 ページから引用
(3) 京都造形芸術大学編『現代写真のリアリティ』角川書店、2003年、26ページから引用
(4) 京都造形芸術大学編『現代写真のリアリティ』角川書店、2003年、72ページから引用
(5) 笠原美智子著『写真、時代に抗するもの』青弓社、2002年、88ページから引用
(6) 『トレース・エレメンツ―日豪の写真メディアにおける精神と記憶』カタログ、東京オペラシティアートギャラリー、2008年、65ページから引用

■ 参考文献
・ 飯沢耕太郎著『講談社現代新書1287 写真美術館へようこそ』講談社、1996年
・ 笠原美智子著『写真、時代に抗するもの』青弓社、2002年
・ 京都造形芸術大学編『現代写真のリアリティ』角川書店
・ 『「トレース・エレメンツ―日豪の写真メディアにおける精神と記憶」カタログ』、東京オペラシティアートギャラリー、2008年
・ 小林美香『写真を< 読む> 視点』青弓社、2005年
・ 『美術手帖』、美術出版社、2008年11月
・ 『やなぎみわ展公式カタログ』、東京都写真美術館/国立国際美術館、2009年
・ ジル・モラ著『写真のキーワード』昭和堂、2001年

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添削評価内容については又の機会に。

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