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July 03, 2009

「メディア論」レポート(第一課題)

と言う訳で、反面教師シリーズ(笑)の第2弾です。
以前の記事にあるように、情デ時代の最終年度(つまり昨年度)に提出して"C"で合格はしたけど、内容ボロボロだった課題です。なんで、第二課題には進まず、情デ卒業!?
今回は反省を込めて再チャレンジした訳ですが...

具体的な評価は下記のようなものでした。
・課題理解:A
・形式の正確さ:B
・表記の正確さ:A
・具体性:B
・独自性:A

今後の課題(改善点)について幾つかコメントを頂いており、「はじめに」の部分の記載内容や、自分の経験を論じることで具体性や独自性が高まったのではないかとのことでした。

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『メディア論』(第一課題)
「メディアがもたらしたもの」

1.はじめに
 辞書においては「メディア」には「記録・保管のための媒体」という意味と、「コミュニケーションのための媒体」という二つの意味がある。
 情報メディアという場合には、主に後者の「コミュニケーションのための媒体」という位置付けで考えて行くことになるが、そもそも、現在のコミュニケーションの在り方がどのように変わってきたのかを考える必要があるだろう。
 活字メディアの誕生以降、その情報を発信する者が、受信する者と必ずしも同じ場所に存在する必要性が解消されたと言える。
 電話のようなメディアでは同じ時間を共有するというリアルタイム性が残っているが、活字メディアでは、時間すら共有する必要性がなく、時間と言う「縛り」を簡単に超越してしまったのである。そして、活字が本などの形態、あるいはテレビがビデオテープなどの形態へと置き換わることで、「コミュニケーション」のメディアは、「記録」のためのメディアへと変化するのである。
 これによって、先に述べたように、メディアは距離と時間を超越するものへと転化したのである。

2.メディアによる身体の喪失
 フィクションではあるが、サイバーパンクという言葉の先駆けとなったSF小説「ニューロマンサー」(著作:ウィリアム・ギブスン)や、ジャパニメーションの代表作である映画「攻殻機動隊」(監督:押井守)のなかでは、人間の中枢神経に直接ネットワークを接続する光景が見られる。
 情報がダイレクトに脳へ流れ込む状態では、身体の持つ「五感」を介して情報を得る必要がなく、身体は脳を収める「器」でしかなかった。つまりは、身体が喪失している状態にあるといえよう。
 これらは、小説や映画は空想上の世界であり、現実の世界では実現されていないが、ラジオやテレビを介して、遠隔地からの情報を即時に得られる状況は、つまり先に述べたような情報を発信するものと受信するものとが離れていることが、伝達すべき情報の内容や質に変化を与えてきた。このような変化が「メディアによって身体が喪失される」と言われる理由であろう。
 このように、現代社会においては身体の行動範囲の拡大とは逆に、情報の入手に関しては身体を行動させる必要性が排除されたと言えるのではないだろうか。
 そのように考えると、情報を扱うシステムの複雑化・高度化しているにも関わらず、情報が、身体、特に脳に対して直接的な刺激を与えるかの如く、「情報の短絡化」は行われているようにも思える。
 これらの2つの観点、「行動の必要性の排除」と「脳への情報の短絡化」については、マクルーハンによって「電子メディアにより地理的距離が無化され、電子的に媒介された同時的な場が至るところに出現」し、「電子メディアの浸透が、人々のコミュニケーションを線形的で視覚的な形態から包括的で触覚的な形態に移行させる」という言葉で述べられている。(註1)
 先に挙げた「ニューロマンサー」では、コンピュータ・ネットワーク上に構築された仮想の共有空間である「サイバースペース」において、身体を現実世界に置いたままで、意識がサイバースペースを「仮想的」に行き来する様が述べられる。身体の行動は伴わず、しかも視覚など身体が有する感覚器官を経由せず、神経系の有するある種の「触覚」によって、擬似的に全ての感覚を体験する様は、架空の小説であるにも関わらず、マクルーハンの言葉を具現化しているかのようである。

3.情報の短絡化
 では、このようなメディアの高度化によって身体が「喪失」しているのであろうか。どちらかと言えば、身体がメディアと化しているようには考えられないであろうか。
ウォルター・オングは「言語表現のテクノロジーと社会の集団的思想様式の深い結びつき」(註2)という言葉でメディアと社会の関係を述べる。
それは、メディアの進化において、人間の五感については、初期は視覚を強く必要としたのに対して、それに聴覚が加わり、更には触覚が加わることになったことを意味する。例えば、ネットワークを介して情報を得ようとする場合のキーボードやマウスの使用に対して、触感が与える影響は極めて大きいものだろう。
 従来のメディアが、一つの源から水面へ一滴ずつ水滴が垂れ、その水滴によって波紋が広がっていく状態であるとすれば、現代のメディアは、至るところに同時多発的に、単一、あるいは複数の源から水滴が垂れ、幾つもの波紋が広がっているような状態のように思える。
 源を一つとすれば関係性が保たれているが、複数の源を有するために、それぞれの関係性が強固に保たれている訳ではないのだ。
 「ところが、電子メディアは、中枢神経系の拡張であって、これは包括的で同時的な領域にほかならない。電信の発明以来、私たちは人間の脳と神経を地球全体に拡張させてきた。その結果、電子時代は実に不安な時代となった。人間は、頭蓋骨を内側に入れ、脳みそを外側に出して耐えている。私たちは異様に脆弱となった。」(註3)と言うように、現代のメディアにおける情報の短絡化は、すなわち情報の選択を受け手に委ねることなのだろう。
 このように、情報が選別されず直接伝達されるような短絡化された状況ではどのような影響をもたらすのであろうか。
 本などの印刷から情報を得る場合に能動的活動を必要としていたことが、ラジオ・テレビのような受動的活動への転換、そしてネットワークの高度化や、パソコン、携帯電話などのモバイル機器の普及によるメディアの拡張によって、メディアを介した情報の受け手が、更には情報の発信者になることにより、双方向のやり取りが生じ、しかも、その情報の信憑性も定かではない状態で、口コミ的にネットワークに発信されるという現在の状況は、メディアの多様化という側面だけでなく、新たな問題も含んでいることを認識する必要がある。
つまり、「ところが、新しく現れた電子テクノロジーは閉鎖体系ではない。中枢神経系の拡張として、認識、相互作用、対話を行なう。この電子時代には、テクノロジカルな道具どうしの共存が本当に即時的に起こるという本質が人類史上きわめて新しい危機を生み出した。私たちの拡張された能力や感覚は、今や単一の経験領域を構成しており、この領域は、能力や感覚が中枢神経自体のように集合性を意識するようになることを求めている。」(註4)と言うように、メディアの進化による利便性を掲げるだけではなく、「新しい危機」として捉えなければならないのではないだろう。

4.おわりに
 冒頭で挙げた『ニューロマンサー』では、自分自身の視覚と、別の人間が体験する感覚をそのまま転送する「疑験」という装置を通じた他者の視覚とが転じるようして物語が進んで行く。他者の感覚まで複製するメディアの将来像。しかし、あくまでも架空の話であり、何よりも、「最高の完成度をもつ複製の場合でも、そこにはひとつだけ抜け落ちているものがある。芸術作品にはそれが存在する場所に一回限り存在するものだけれども、この特性、いま、ここに在るという特性が、複製には欠けているのだ。しかも芸術作品は、この一回限りの存在によってこそその歴史をもつのであって、そしてそれが存続するあいだ、歴史の支配を受けつづける。」(註5)という論説にあるように、メディアによる複製と、それらの伝達・保存がもたらした身体や社会の影響は大きいものではあった。
特に、近年のネットワークの社会の拡大によって、そのネットワーク上に多くの電子メディアが存在する状況では、粗雑な複製が多数存在するという危うさとともに、デジタルデータという全く同じものとして複製できるという特性も孕んでいる。このような完全な複製が得られるとすれば、そこにあるオリジナルと複製との差分や価値を明確にしなければならない。
例えば、電子メディアにおける安易なコピー&ペーストにより、時間が経つにつれて、あるいは人から人へと伝達していくなかで、それが元々は誰のものなのかということが判らない状況を排除するために、電子署名などの技術的手法で回避することも一案であろう。
メディアの特性が問題点を述べてきたが、「新しいメディアの登場に伴う環境の変化そのものが「メッセージ」となって、私たちに影響を及ぼす」(註6)の言葉にあるように、パソコンや携帯電話のような情報の発信者が受信者を兼ねる「新しい双方向のメディア」によって掲示された問題がクリアされることを望んでいる。

■ 註
(1) 吉美俊哉・水越伸著『メディア論』放送大学教育振興会、2001年、94ページより引用
(2) 吉美俊哉・水越伸著『メディア論』放送大学教育振興会、2001年、93ページより引用
(3) 宮澤淳一著『マクルーハンの光景 メディア論がみえる』みすず書房刊、2008年、8ページより引用
(4) 宮澤淳一著『マクルーハンの光景 メディア論がみえる』みすず書房、2008年、10ページより引用
(5) 多木浩二著『べンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』岩波書店、2000年、139ページより引用
(3) 宮澤淳一著『マクルーハンの光景 メディア論がみえる』みすず書房刊、2008年、107ページより引用

■ 参考文献
・ 吉美俊哉・水越伸著『メディア論』放送大学教育振興会、2001年
・ 宮澤淳一著『マクルーハンの光景 メディア論がみえる』みすず書房、2008年
・ 多木浩二著『べンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』岩波書店、2000年
・ 佐藤卓巳著『メディア社会』岩波書店、2006年
・ 五十嵐太郎編『建築の書物/都市の書物』INAX出版、1999年

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