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July 09, 2009

「空間演出デザイン演習Ⅰ-2」のこと

この金曜日(7/10)からは、京都で空デ専門のスクーリング受講予定です!!
今のところは何とか出席できそうだけど、過去の例もあるので、ギリギリまで安心できません...(苦笑)

ところで、先日の記事で、空デに再入学して初めて提出した「空間演出デザイン演習Ⅰ-2」の結果が出たことを書いたんで、その話を。

この課題は、自分で好きな、あるいは気になる作家(アーティストやデザイナー)を選んで、その作家と自分がコラボレーションした場合を仮定し、「巨匠の食卓」というもてなしの空間をテーブルの上に構築するというもの。
制作物は、作家の紹介や作家・作品にまつわるキーワード、コンセプトなどを説明するプレゼンシートと、実際に制作した「食卓」の写真を提示するシート、制作レポートの3点になります。

で、私が選択した巨匠は、現代美術家のやなぎみわ氏です。
5月の学習相談の際に、「巨匠」の範囲をどう捉えるかを相談させて貰った時には、過去の作品では、アーティストやデザイナーだけでなく、小説家なども居たそうで対象とする範囲は広いとのこと。ただ、あまりコアな人を選んでしまうと、見る側(評価する先生)が消化できず、テーマが伝わらないだろうとのコメントがありました。
相談した時点では、ヘルムート・ニュートンだったけど、先生に名前をバラしてしまったんで、春に写美で展覧会を観た、やなぎみわ氏にした次第です。(ちなみに、やなぎみわ氏は、数年前は通学の情デの客員教授だったけどね)
実は、学習相談では旧知のK合先生が居て、「巨匠って、情デのN山先生じゃないですよね?」と聞かれたんだけどね(笑)

では、また添削結果を貰ってないんで、まずは、制作レポートを提示しますね。

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1. はじめに
数年前、横須賀美術館で情報デザインコース生と教員による交流会が開催されたが、この日に、同美術館に現代美術家のやなぎみわ氏が見学に来ていたことを交流会に参加されたN山先生に教えて頂いた記憶がある。通り過ぎたのを見かけたとのことであったが、このときに開催されていた澁澤龍彦氏の「幻想美術館」と彼女との組み合わせを、N山先生とともに妙に納得した記憶がある。
このときには、既に「フェアリー・テール」シリーズ、と言うよりも、このシリーズで生まれた「砂女」の印象が強く残っていたため、彼女の知的でクールな外観とはうらはらな「幻想」と言うキーワードが、ピタリと嵌ったように思える。

2. 作品の世界
では、彼女の作品を振り返ってみよう。
まずは、「エレベーター・ガール」シリーズは、百貨店という場所において、同じ制服を纏い、髪型や化粧も統一した無表情な女性たちが無数に存在する異質な空間を描き出した。
この作品は、百貨店の言う「ハレ」の場に、女性のフィギュアを並べているかのような非現実感を加える事で、一層日常と乖離している感があった。
「『エレベーター・ガール』についていえば、視点が冷たいですよね。ときどき男性作
家だと思っていたといわれますが、男性ならきっとああはならない(笑)。」(1)
制服や靴にフェティシズム的な要素を感じるが、エロティシズムというか、性差を強調するものではなく、モデルそれぞれの個性を突き放すかのような冷静な視線を浴びているのである。先にフィギュアと書いたが、規格化された女性だけで構成される社会の違和感を見せつけようとしているように感じる。

「エレベーター・ガール」シリーズの後には、「マイ・グランドマザーズ」シリーズがスタートするが、このシリーズは、複数のモデルからのインタビューから得た「半世紀後の自分の姿」という、個々が有する想像の世界の視覚化を試みる。
しかし、半世紀後の時間の経過は、おのずと自らの肉体が衰えて行くという宿命が存在し、必ずしも理想とする未来像ではなかったと言えよう。
「モデルにも、私にも、身体が衰えることへの恐怖についてはもちろんありますが、もっとも恐れていることは一度やってみるに限る訳で」(2)
老いと言う道を進む中で、やなぎみわ自身とモデルが想い描く未来像の共通点や、同じ性を持つ女性達が、老いと言うことについて、どのような感情と抱いているかを確認するのがこの作品で主題ではないだろうか。

「最初は「語る女性」と「語られる女性」で作品をつくろうとしていたら、ガルシア・マルケスの『エレンディラ』に巡り会った。ほとんど感情のわからない美少女と、欲望丸出しのおばあちゃんが、テントで二人、旅をする物語です。」(3)
「フェアリー・テール」シリーズは、『エレンディラ』からインスピレーションを得たと述べるように、少女と老女、あるいは無垢と無慈悲をいう対立構造を込めた作品であった。そこには、無垢であるかゆえに自覚せずに残酷な行為を繰り返す少女が居たり、あるいは、無慈悲と言われるがゆえに孤独な老女が居たりするのである。

3.異性の不在
ところで、「マイ・グランドマザーズ」シリーズで男性の姿を垣間見る事はあっても、それは全作品中の数点でしかない。
「エレベーター・ガール」シリーズや「フェアリー・テール」シリーズでは、男性の姿は皆無である。そのように考えると、やなぎみわの作品世界とコラボレーションするとなると、女性主体の世界とどのように向き合うかが、一つのポイントになるであろう。
タカラヅカのような、女性だけが演じる虚構の空間ではあるが、女性が理想とする上辺だけの虚飾の世界ではなく、剥き出しの感情が表現された世界である。
そのような女性だけの世界で、老若、虚実、生と死、などの対立構造が入り混じり独特の世界観を生み出するのである。

4.おわりに
「これまでのやなぎの作品では虚構と現実を同居させつつ、やなぎ独特のファンタジー
が展開されてきたが、この新作ではファンタジー的側面を保ちながらもリアリティに向かっている。」(4)
個人的には、特殊メイクとCGを組み合わせて、写真という媒体に落とし込むことに興味があったが、最近の新作ではモデルの実年齢に近い設定のため、特殊メイクの使用は抑えるものになっているとのことである。
今年の第53回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館での展示を経て、独自の世界観を深めていくことになるのか、あるいは他の領域への拡大し、その独自の世界観を薄めていくことになるのか、その動向と生み出す作品を追いかけていきたい。

■ 註
(1)斎藤環著「アーティストは境界線上で踊る」みすず書房、2008年、78ページから引用
(2)斎藤環著「アーティストは境界線上で踊る」みすず書房、2008年、76ページから引用
(3)「美術手帖―特集 いま読むべきアートブック300」芸術出版社、2009年1月号、84ページから引用
(4)東京都写真美術館/国立国際美術館監修「やなぎみわ マイ・グランドマザーズ」淡交社、2009年、125ページから引用
■ 参考文献
・斎藤環著「アーティストは境界線上で踊る」みすず書房、2008年
・「美術手帖―特集 いま読むべきアートブック300」芸術出版社、2009年1月号
・東京都写真美術館/国立国際美術館監修「やなぎみわ マイ・グランドマザーズ」淡交社、2009年

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