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October 06, 2009

メディア論(第2課題)の添削結果

メディア論・第二課題の添削結果が戻ってました。
端的に言うと、自分が経験した具体的事例と関連付けて考えていないので、具体性と独自性が弱いということでしょうか。現代のメディアと言うものが、散漫で掴みづらいものと感じていることをそのままレポートに反映してしまったので、全体として曖昧な(先生には抽象的と言われた)内容となったんで、この評価コメントには同意しますね...
イマイチの内容は載せたくないけど(苦笑)、まあ参考として。

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メディア論 レポート(第2課題)
「ネットワーク社会における現代のメディア」

1.はじめに
第1課題のレポートのなかで、本などの印刷物から情報を得る場合には能動的な活動を必要としていた状況から、ラジオ・テレビのような受動的な活動、そしてネットワークの高度化や、パソコン、携帯電話などのモバイル機器の普及によって、情報の受け手が情報の発信者にもなりうる双方向性を持つ活動へと転換しているメディアの多様化の側面について述べた。
加えて、ネットワークがオープンにつながることによって得られたメディアの進化と利便性だけでなく、「新しい危機」を捉える必要があると述べたマクルーハンの下記の文章を引用した。

 新しく現れた電子テクノロジーは閉鎖体系ではない。中枢神経系の拡張として、認識、相互作用、対話を行なう。この電子時代には、テクノロジカルな道具どうしの共存が本当に即時的に起こるという本質が人類史上きわめて新しい危機を生み出した。私たちの拡張された能力や感覚は、今や単一の経験領域を構成しており、この領域は、能力や感覚が中枢神経自体のように集合性を意識するようになることを求めている。(1)

私は、情報の受信者が情報の発信者となることによって、情報が選別されないままに直接伝達され、その内容を自分の意見であるかのように発信してしまうような状況も「新しい危機」の一つではないかと想定した。つまり、人間が存在しているにも係わらず、人間が単なる情報の伝達媒体の一つであるかのようにネットワークに組み込まれているからである。
本レポートでは、この想定を元に現代のメディアの問題点を考えてみたい。

2.メディア上の情報の信頼性
ネットワークの高度化やオープン化により、世界中でほとんど同時刻に同じ情報が得ることが可能となった。
「テレビ放送や新聞などのマスメディアとインターネットではスタンスが大きく異なる。大別すれば、速報性を重視するか、検証性を重視するかだ。」(2)と述べられるように、インターネットの掲示板などに提示されるニュース情報は、決まった日時に配達・配信される新聞や放送のニュース情報に比べて、格段に早いタイミングで提供される。
しかしながら、そのニュースソースの信頼性や内容の信憑性に欠けるものが存在することも実情であろう。それはネットワーク上で「口コミ」によるコミュニケーションが成立していることも一因と考えられる。そして、情報の信頼性という点では、ネットワーク上の情報だけが対象となる訳ではない。

 イラクでの出来事について、私たちは情報の過多どころか、情報の貧困を痛感している。確かに、絶え間なくニュースは流れている。しかし、そうしたニュースから私たちは正確な「情報」を読み取っているのだろうか。(3)

本などの文字情報と異なり、テレビなどの視覚情報については、人間は感受的に情報を受け取るという。加えて、リアルタイムに流れる映像から情報を即座に読み取り、判断するという行動が必要となるため、本のように情報を自分の意思によって反芻するという行為がしづらいのである。マス・メディアによって選択された同じ映像が、しかも視聴者の興味を駆り立てるが如く刺激的な映像が繰り返しテレビから流される状況においては、その映像に対する疑念を抱きつつも、情報として受けとめてしまうのである。
メディアにはそのような危うさが存在するのである。

3.情報の選択
情報の選択については、メディア・リテラシーの強化という観点があるだろう。
ネットワークを介することで得られる情報量は膨大である。その大量の情報の中から、正しい情報と間違った情報を判別する能力が必要とされるのである。西正は著書のなかで、ある程度の情報選択能力が備わらないと「受け手が面白さと正しさを混同してしまいかねないことは明らかである」(4)と述べ、善悪の区別が付かない年代でのネット使用について危険性を提起している。
マス・メディアである放送や新聞には、近年捏造事件が発覚しているとは言え、自主的な倫理規定が整備されているが、インターネットではそのような倫理規定の整備は不十分である。
更に西は「日本のマスメディアは基本的に不偏不党のスタンスを取っている。逆にネット世界では、ワールドワイドのレベルで、不偏不党である必要が求められることはない」(5)と述べる。
メディアのほとんどがマス・メディアであった時代と違い、自らがメディアの発信者となりうる現代社会では、例えば、署名記事であることや、他の記事との比較などにより、その情報の発信ソースの信頼性を判定し、発信者が情報に脚色を加えて発信している可能性の有無を判断することが必要となるだろう。

4.メディアと個人との関わり
マス・メディアであっても、ネットワークで構成されるデジタル・メディアであっても、そのメディアが使える状況でなければならない。本やパソコン上で文字が記載されていても、その言語が読めない、あるいは本やパソコン自体が購入できない、パソコンがあっても、ネットワーク機器などのインフラが整備されていない、などの障壁が存在することはないだろうか。
「デジタル・ディバイド」という言葉があるが、ネットワーク社会によって生じる「格差」については、メディアが果たす役割そのものを揺るがすものとして認識しなければならないだろう。

 実際、今日のテレビはすでに「情報弱者」のメディアである。テレビを長時間視聴しているのは、育児放棄された子供や寝たきり老人などに象徴される社会的弱者であり、活動的情報行動とテレビ視聴時間はおおむね反比例する。(6)

そもそも、ネットワークによるグローバル化においては、地理的に離れて生活する他者との間で、言語や文化の違いというマクロな視点だけでなく、時差や生活習慣の違いというミクロな視点をも意識する必要がある。

 こうしたグローバル化の議論は楽観的・肯定的な見方を全面に出した「神話」であり、実証的根拠を欠いたまま、あたかも世界全体を覆う「グローバル」な規模で新たなつながりや関係性が生まれているかのような誇張がなされているとされる。(7)

「グローバル」という視点で共通化が進められるとしても、そのメディアを利用する個人がそれをどのように受け入れるのか、または受け入れる力を有しているのかが重要になる。それが、人間が単なる情報の伝達媒体の一つとしてネットワークに組み込まれないため対策方法のひとつであろう。

5.おわりに
ネットワーク社会の進行によりグローバル化、多様化が進んでいると考えられるが、同時に、世界同時にコトやモノが流行するという事象には「画一化」の側面があるように思える。
それは、出版や映画などのマス・メディアにおいて、複数の映画館が同時期に同じ映画を上映することやベストセラー上位など売れ筋の本しか扱わないことが見られるからである。
しかし、多様化の側面は間違いなく進んでいる。
マス・メディアにおいても、単館上映のミニシアターや特定の専門書の書店に人が集まる状況を見ることができる。雑誌などのメディアでは従来から特定の領域・読者を対象とした雑誌等が存在したが、ネットワーク社会の浸透によって、そのような特定領域で同じ嗜好を持つもの同士のコミュニティが生まれているのである。
テレビの視聴率や売れ筋調査などによって得た「大衆の大多数が求めるもの・こと」の情報と、個人の嗜好の多様化との間で、マス・メディアはどのような対応を取るべきであろうか。

 誰にも平等に開かれ、誰の声や関心に正当に耳が傾けられ、それが共有されるという公共性の実現に向けて、メディアをどのように社会において制度化し、幅広い民益のために活用していくかという問題は、決してグローバル化と切り離すことはできないのである。(8)

ネットワーク上でオープンに、そして双方向に情報がやり取りされるという特質を理解したうえで、新しい秩序を持ったメディアとして成熟させていくことがこれからの課題となるだろう。
(3215文字)

■ 註
(1) 宮澤淳一著『マクルーハンの光景 メディア論がみえる』みすず書房、2008年、10ページ
(2) 西正著『IT vs 放送 次世代メディアビジネスの攻防~変わる放送、ネット連携の行方』日本BP社、2005年、31ページ
(3) 佐藤卓巳著『メディア社会』岩波書店、2006年、26ページ
(4) 西 前掲書、26ページ
(5) 西 前掲書、35ページ
(6) 佐藤 前掲書、179ページ
(7) 日本放送協会放送文化研究所編『放送メディア研究6』丸善、2009年、13ページ
(8) 日本放送協会放送文化研究所 前掲書、31ページ

■ 参考文献
・宮澤淳一著『マクルーハンの光景 メディア論がみえる』みすず書房、2008年
・西正著『IT vs 放送 次世代メディアビジネスの攻防~変わる放送、ネット連携の行方』日本BP社、2005年
・佐藤卓巳著『メディア社会』岩波書店、2006年
・日本放送協会放送文化研究所編『放送メディア研究6』丸善、2009年
・鈴木みどり編『メディア・リテラジーの現在と未来』世界思想社、2001年
・矢野直明著『総メディア社会とジャーナリズム』知泉書館、2009年

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