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July 09, 2010

「京都発見」スクーリングレポート提出物

6月末に受講した「京都発見」スクーリングについては、このブログで初日の状況を書いたけど、二日目については書かないままで終わってしまったので、先週末に提出したスクーリングレポートで代替えします...(苦笑)
実は、この「京都発見」では、京都のパワースポット巡りや魔界スポットのような「ネタ」でいこうと思ってたけど、結構その路線の人が居そうな気がして辞めたんですよねえ。
でも、最後の発表を聞くと、その路線が居なかったようだったんで、ちょっと後悔してます!?(笑)

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1. はじめに
 今回の「京都発見」のスクーリングにあたっては、初日の講義が終了した時点でテーマ設定が確定していない状況だったため、フィールドワーク直前に情報センタで簡単に調べた内容での着手となった。
事前調査が不足したままでのスタートとなり、時間配分が上手く行かなかったり、行きそびれた場所があったりと不備な点があったが、行き当たりばったりの行程のなかで、こんなところがあったのか、というような発見ができたようにも思える。
 さて、この二日間で私がキーワードとして考えたのは「電気」と「通信」である。私自身が情報通信系のメーカに勤務していることから、京都における電信・電話などの通信の碑や建築物を巡ってみようと考えてみた。しかしながら、当日の文献やネット検索での調査で「電車」に関する碑があるとのことで、そこにも行ってみることにした。また、先日、神奈川のギャラリーでお会いした方々の話を聞いていた時に話題となった「朝鮮通信使」に関する碑もあるとのことで、「通信」繋がりでそこにも行ってみることにした。

2. 朝鮮通信使
 フィールドワーク初日の最初の目的地は、伏見区納所町にある「唐人雁木旧跡」であった。
後日調べたら、「雁木」とは船着き場の桟橋に作られた雁行形の階段とのことで、淀川をさかのぼってきた朝鮮通信使は、ここで上陸し、陸路(鳥羽街道)で京都へ北上したとのことである。
 最寄り駅は京阪本線の淀駅であるが、淀駅の北東には京都競馬場があるが、「唐人雁木旧跡」の石標がある納所という交差点は、線路を挟んで反対側であった。駅前の商店街を抜けて五差路となった「納所」交差点から東側へすぐのところ、米屋さんの前に、その「唐人雁木旧跡」の石標が道路端にぽつんと立っていた。周りには案内板はなく、また石標自体にも説明が記載されていない状態であった。
 この碑のある場所から桂川方向に進むとすぐ近くに、納所街道の起点という道標があった。現在の地形では桂川までちょっと距離があるが、淀城の城下で宇治川と木津川が合流する場所ということで、宿場町であったらしい。
 京都へ戻る駅のホームで気がついたが、淀駅の隣は淀城の城址跡となっており、堀と石垣が残っていたのが印象的であった。 
 
3. 電気鉄道事業発祥の地
 京阪電車で淀駅から伏見桃山駅へ移動し、駅からアーケードのある大手筋商店街を経由して伏見区下油掛町へ。
 京都電気鉄道株式会社の伏見線は,明治27(1894)年に京都岡崎公園一帯で開かれた博覧会への客輸送のために明治28(1895)年に開業し,東洞院塩小路下ルを起点として伏見町下油掛までの約6kmを走ったとのことであるが、この路線が日本最初の電気鉄道であった。
 京都駅前東側のルネッサンスビル前には,電気鉄道事業発祥地として伏見線の起点を示す碑が設置されているが(二日目の朝に見学)、この下油掛町にも発祥の地として石標が置かれていた。起点側に比べると質素な感じであるが、石標の隣にある和菓子(駿河屋)も創業が古い店のようで、組み合わせて見ると趣があった。
 なお、油掛通りは大手筋商店街から南側に並行に沿った通りであるが、途中に油懸地蔵尊があり、その境内には芭蕉の句が置かれている。また、坂本竜馬との関わりで有名な池田屋がすぐ近くにある。
 
4. 京都電話発祥の地
 二日目は「電話」に関わる場所を訪ねてみた。
 三条通りにあるNTT京都支店には京都における電話事業の発祥地であることを示す碑があるが、大正時代に建設された京都市内の電話局は、著名な近代建築が多く、京都中央電話局は新風館、京都中央電話局上京分局はリノベーションされ商業施設へと活用されている。この二つの電話局は、どちらも逓信省技師の吉田鉄郎が設計したものである。
 上京分局は、数年前に見学した際には「カーニバルタイムス」と呼ばれてレストランが入居していたが、食料品スーパーとに入れ替わっていたが、入居者が変わっても、その外観を保存しようとする動きには代わりが無いようで、入り口付近には保存活動を示す立て看板が設置されている。煉瓦張りの壁に塔屋の部分と瓦張りの屋根が載っていると言う意匠が独特であった。
 今回は前述の二箇所に加えて、西陣の旧京都中央電話局西陣分局の外見を見学する。
 ここは、現在もNTTが「西陣IT小路」という施設として活用しながら建物の維持しており、ファサード部分の三本の柱とレリーフ、そして三本の柱の上に載せられたトルソが印象的な建物である。
 後日調べて見ると、京都中央電話局は烏丸御池、上京分局は今出川河原町という人の行き来が多い場所であり、別の施設への転用・活用が可能であったが、西陣分局は、堀川通りから奥まった場所(油小路通と中立売通との交差点)にあり、繁華街からも離れているため、商業的な利用が困難だったとのことである。
 なお、ここを設計した建築家岩元祿も逓信省の技師だったということで、当時の逓信省の先進性と技術力を伺うことが出来る。

5. おわりに
 二日目の途中でJR丹波口駅の西側にある京都リサーチパーク(KRP)とアーケードのある京都三条会商店街も訪ねてみた。
 KRPは、京都の産業の研究開発、ベンチャービジネス支援を目的として設置されたところであり、前述で訪ね歩いた場所が江戸から明治・大正という時代を経るなかで、文化や伝統を保持している京都という街へ新しいものを取り 入れようとした証であるとすれば、KRPは、これからの未来に京都から何を発信できるかを模索している場所ではないだろうか。
 実は、私は、この3月までは神奈川県の横須賀リサーチパーク(YRP)内の企業の事務所に勤務していたが、そこに比べると比較的市街地でJRの駅が近いなどの交通アクセスが良く、敷地内の施設も充実しているように見受けられた。YRPは横須賀市の開発事業の一環とはいえ、私鉄の沿線開発を言う側面があり、管理・維持の主となっているのはその私鉄会社であった。なお、KRPは大阪ガスグループの管理組織とのこと。
 YRPはNTTドコモとNTTドコモへシステム/機器を提供するベンダを中心とした携帯電話に関する研究開発と、移動通信のベンチャービ ジネス支援を目的としているが、KRPについては独自のカラーが聞こえてこないような気がする。
島津製作所、京セラ、ワコール、任天堂というようなベンチャー企業のような独自のカラーを有するメーカが数多く存在するが、今後大きく花開く企業がここから生まれていくのであろうか。
 同じ三条通りであっても、千本通りと堀川通りの間にある京都三条会商店街は、寺町京極商店街の観光客の賑わいとは一線を画した地元の商店街である。観光地と言われる京都であるが、その観光を支える地元住民が居て、普通に生活をしているという事実を再認識させられる場所でもあった。生活者が居るからこそ、京都と言う街として保存・継承しなければいけないことを認識し、新たに生み出し・今を改善しなければいけないことは何なのかと言うベクトルを合わせて行く必要を再認識したのが、今回のスクーリングでの「京都発見」であった。


■ 参考文献
・「歴史と語る産業遺産・近代建築物 京都の近代化遺産」(川上貢監修/淡交社、2007年)
・「京都の大路小路」(柳町敬直発行/小学館、2003年)

■ 参考サイト
・http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/bunka17.html
・http://kyoto-fushimi-kanko.jp/map.html
・http://www.krp.co.jp/

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参考資料として添付したのが、これになります。(A3サイズに出力して二つ折り)

Kyoto01

Kyoto02


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