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June 2011

June 22, 2011

学舎講義の単位認定

去年の秋に東京芸術学舎で受講した「写真集をつくろう」ですが、事前申請をすれば講義終了後のレポート提出で評価が行われて、単位認定も行われるとのことで、提出していたんだけど、その評価結果が郵送されてきました!?
アレの影響もあり、対応が延伸してしまったとのこと…

で、これで単位認定されるのかと思ったら、指定期間中に申し込みをしなければいけないらしいです。
と言うことで、一気に面倒くさくなってきました…(笑)

June 21, 2011

両国まで

昨日は、勤めている会社が創立記念日で、就業時間が短くなったので、横浜のBankARTに寄ってから帰宅しました。

■「BankART AIR Program 2011 OPEN STUDIO」

アーティストレジデンスプログラムとして、48組のアーティストが制作中の風景が生で見れます。
本学通信の情デOBも参加中です!!
時間をずらしたら雨に降られることがなかったのが、ちょっと悔しい…(笑)

で、この火曜日は仕事の状況から午後半休を取れるタイミングはここしかないと言うことで、以前から気になっていた、「五百羅漢展」を観に両国へ行ってきました!

■ 「五百羅漢展」(江戸東京博物館)

天気が良かったので、隅田川を渡ってみたりするのでした!?

神田川が隅田川に注ぐところ(柳橋付近)には船宿が多いですね〜

June 19, 2011

土曜日は久しぶりの学習会

この土曜日は都内(千駄ヶ谷)で学習会でした。
で、この日は外苑キャンパスで空デの専門スクーリングが開催されていたので、K先生が居るだろうと想定して、集合時間前に外苑に寄ってきました。(渡したい物があったのです...)
外苑キャンパスに到着する前の交差点でU先生と出会ったので、ご挨拶。5月の総合スクーリングのときにも京都でお会いしたので、何かここ数ヶ月間は毎月会っているような気が...(笑)
K先生に無事に「ブツ」を渡して、7月の学習会教室借用の調整などして、早々に外苑キャンパスを後にしたのでした!?
K先生によると、この「フィールドワーク」スクの参加される方々はかなりの数らしいです。学習会メンバからの話では、今年度の空デ新入生は80名くらいらしいですね!!
(情デもかなり多いらしいです!?)

今回の学習会は、学習会仲間のご縁で、デザイン事務所をお借りできたので、私含めて5名での自主学習となりました。
今年になって初めて会う方ばかりなので、元気そうな顔を見れて良かったですね〜
学習の方は蟻のような進捗ですが、何とか今年度中で専門テキスト課題のうち4課題を終わらせたいです!?(苦笑)

June 15, 2011

モホイ=ナジ

葉山で開催中の展覧会なので会期中(〜7/10)に見たいなあ〜と思っていたんですが、京都(近代美術館)と千葉(川村記念美術館)に巡回するらしいです。
ともあれ、何処かで見たいですねえ〜
葉山が一番移動(&費用)の面では有利でも、仕事などの都合で左右されるのです...(苦笑)


■ モホイ=ナジ「イン・モーション」(神奈川県立近代美術館 葉山)

モホイ=ナジは、「デザイン論」の第一課題のレポートで始めて知ったのですが、バウハウスなどのデザイン関係の近代の流れを知らない私には、いろいろなものを与えてくれたような気がしますね...

June 11, 2011

スクーリング特別履修

三年次までの必修の専門スクーリングは全て受講済みなので、特別履修枠で専門スクーリングの受講申し込みをしていたんだけど、先日受講許可がでました。
このスク科目、去年受講した専門スク科目のなかで一番評価が低かったものなので、復習(復讐ではない!?)の意味を兼ねて再度受講したいと思っていたのでした。

空デに入学してからのワースト評価の専門スクは、実は三つあるんだけどね...
いずれも初年度に受講したもので、前述の専門スクより更に悪い評価!?
評価点数だけで判断できない部分があるとは思うけど、いずれも私の発想力の無さと、手仕事の粗さが足を引っ張っているという自覚が...
他の人の評価など気にならないほどの、自分なりの「やりきった」感があればいいんだけど、そういうのも無くて、切りの悪い、悶々としたものが残ったスクなのでした。

そういうのを打破したいんだけどねえ〜(苦笑)

来月開催されるイベントですが、ちょっと備忘録として。

■ アートアワードトーキョー丸の内2011

7/3から7/31まで、東京丸の内の行幸地下ギャラリーにて開催されます。
うちの大学(通学部)の方も参加されるようですね。
ここ数年観に行っているので、都内に行く機会があれば観に行こうと思っています。

June 07, 2011

都内散策!?

提出期限まで未だ時間があったんだけど、いろいろと考えた末に先の週末にテキスト課題の「写真ファイル」を提出しました。
修正したいポイントが多数あって、終わりの無い状況になりそうだったしね...

と言う訳で、この前の土曜日は、午前中に「写真ファイル」課題の発送準備(400文字の感想文の作成も含めて)をして、横浜市内の郵便局で郵送したあと、午後から都内に出かけてきました。
目的地は乃木坂のギャラリー。


■ 荒川 修作〜芸術から天命反転へ

こちらは、5/18から6/11までの開催期間となっています。

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そして、このギャラリーから目と鼻の先にあるギャラリー。


■ 五十嵐淳展 状態の間

写真撮影可能とのことで、ほとんど会話の無い空間に撮影の音だけが響いてました。木で作られた模型に、スチレンボードでは味わえない、ぬくもりを感じてしまったりするのでした。

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その翌日の日曜日には、皇居(江戸城)、靖国神社、明治神宮と都内で緑の深さを感じる場所を巡っていたのでした...

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June 03, 2011

「空間論」(第一課題)の添削評価

先の記事でサイバーキャンパス上で評価結果が出たと書いた「空間論」の添削結果が返ってきました!?

「レポートの技術」、「レポートの内容」、そして「総評」という観点で、それぞれ40点、40点、20点という点数配分での評価となっていました。(私の評価は、32/31/16)
かいつまんで言うと、文献を読むことはまずまずだけど、書いていることがイマイチ。
多数の文献を読むという量はこなすけど、何を言おうとしているのかという論理展開が不十分で、飛躍的な部分があり、読み手に対して説明不足となっているとのコメントを頂きました。
おっしゃる通りです...(苦笑)
やっぱり質が重要だよねえ〜

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タイトル  :田中純にとって空間とは建築家の言説を介して共鳴するところである
■選択した章「25.近代というエロス」

1.はじめに
 このテキストの対談者の半数以上が建築家であるのに対して、田中純はドイツ研究、および表象文化論を専門とする。従って、この対談では、建築という視点だけでなく、近代という時間の流れのなかでの空間という幅広い視点での内容が織り込まれている。
田中はこのように述べる。

 ですから僕にとって建築というのは、決してマージナルな問題ではなく、
 文学、美術などを全て含み込んで、そこに時代の夢や幻想が投影される
 対象としてとらえていました。(1)

 アヴァンギャルド運動の統合された結果として建築を捉えるというマンフレット・タフーリの歴史観に影響を受けた田中は、このようにも述べる。

 建築家が残した言説を徹底的に読み解いていくことが、空間とどこかで
 共鳴するのだろうと思います。(2)

 田中にとって空間とは、建築家の言説を介して共鳴するところなのだろう。
そして田中は、テキストの中で、ヴィトゲンシュタインの言葉を引用しているが、近代建築家が自分の存在する時代に呼応し、近代的であろうとするからこそ生まれてくる問題点を展開していくことで、近代というものの全体像を俯瞰しようとしているのである。

2.時間の遺構
 先に述べたように、田中は、現時点でその場に残っている建築物の外観や環境など物理的な観点だけではなく、建築家の残した言説という過去の記録から空間を読み取ろうとしている。
 田中の著書『ミース・ファン・デル・ローエの戦場』では、ミースが、「バウクンスト」を、時間意思を空間に捕捉すること、あるいは自己の精神的な決断を空間に実現しようとする行為であると述べたことに対して、ミースの行った建築の仕事(作品)を外面的に、かつ網羅的に取り上げるのではなく、特定の作品に絞り込んで、精神分析的/イデオロギー分析的な、細部へ注視した手法によって、ミースの内面へ迫ろうとしている。
 また、著書『死者たちの都市へ』では、ダニエル・リベスキントのユダヤ博物館に対して、博物館の建設とともに設けられた「空虚(ヴォイド)」が、ユダヤ人への虐殺や追放というシンボル的な意味ではなく、無造作にその場に残された痕跡として意識されることにより、博物館の内側からフレーミングされることで、「過去の時間で満たされて、亡霊化される」と述べ、空間のデザインであるとともに時間がデザインされていると分析している。
 建築物は、その場に立ち現れた瞬間から歴史となる。しかし、田中は立ち現れる前に建に、かつ網羅的に取り上げるのではなく、特定の作品に絞り込んで、精神分析的/イデオロギー分析的な、細部へ注視した手法によって、ミースの内面へ迫ろうとしている。
 また、著書『死者たちの都市へ』では、ダニエル・リベスキントのユダヤ博物館に対して、博物館の建設とともに設けられた「空虚(ヴォイド)」が、ユダヤ人への虐殺や追放というシンボル的な意味ではなく、無造作にその場に残された痕跡として意識されることにより、博物館の内側からフレーミングされることで、「過去の時間で満たされて、亡霊化される」と述べ、空間のデザインであるとともに時間がデザインされていると分析している。
 建築物は、その場に立ち現れた瞬間から歴史となる。しかし、田中は立ち現れる前に建築家の頭の中にあったアイデア(あるいはアイデア以前のもの)から、実際に建築として生まれるまでの過程をも読み解こうとする。それらの全ては建築としての形を得ることが叶わずに計画だけで終わってしまうものもあるが、紙などの媒体へ変化を遂げた時点で歴史(記録)として残されるのである。
建築家の言説には、建築家が何故その場所を選んだのか、どのような建築物を建てようと考えたのか、などの建築家が持っていた発想とともに、その発想の起点となった思考や思想が時間の経過とともに織り込まれているため、それを読み解くことによって、空間への理解がいっそう深まることになるのであろう。
 時間の経過という観点では、田中の著書「都市の詩学」において、場所の周縁には「蓄積された記憶」と「喚起する予感」という過去の記録と未来への徴候が存在すると述べている。また、同書のなかで、中井久夫の述べた、過去の記憶を追体験するかのような「積分回路的認知」と、未来を予感して先取りする「微分回路的認知」を引用する。
つまり、空間は、今見える現在の姿だけではなく、過去から未来へと連なる時間軸をも封じ込めているのである。

3.狂った身体
 人間は、空間の持つ高さ、幅、奥行き、そして面積、容積などの要素を、手や足などの物理的(肉体的)な手段だけでなく、目や耳、鼻などの感覚器によって認識しようとしている。空間を捉えるという行為は、人間の五感に対して直感的なもののはずなのに、田中は下記のように述べる。
 
 近代の空間というものが、触覚と視覚の安定した関係が崩壊してしまった
 身体によって知覚される空間ではないかということを問題にしようとした
 訳です。(3)

 言ってみれば「目で触る」、「手で見る」というように、独立しているはずの視覚と触覚が交錯しているような状態なのだろうか。田中は、このような「狂ってしまった身体」に呼応して「モダニズム建築の空間」があったと言う。
建物に囲まれた内部を空間として捉えるのであれば比較的容易に空間を認識できるが、例えば先に挙げたユダヤ博物館のように、建築物の中に突如として室内空間とは異なる空間が出現する場合がある。このような空間は見る者の意識が混乱してしまうだろう。
 また、人間が生きている基本構成として、「空間」と「場所」が当たり前のように存在している。トーフー・トゥアンは、著書『空間の経験』の序論で、空間の意味と場所の意味とが混同されることがあるが、「場所の空間的特質」と「空間の位置的(場所的)特質」を言う二つの言葉によって「空間」と「場所」の関係性について議論すべきと述べている。
 空間(三次元)と場所(二次元)、空間(三次元)と身体(二次元)、そして、空間(三次元)と時間(四次元)というように、「空間」にはいくつもの要素が絡み合っていることに加えて、近代では空間のなかに空間というような重層構造を作り出してしまったことによって、われわれの身体に大きな混迷を与えているのかもしれない。

4.エロティシズムな空間
 田中の著書『都市の詩学』において、近代建築とマニエリスムの建築の共通点を指摘したコーリン・ロウの視点から拡大し、建築のみならずマニエリスム美術を含めて参考することで、近代建築とマニエリスム建築の共通点である視覚的な曖昧さや不安定な激しさだけに留まらず、視覚性によって喚起される情念やエロティシズムまでも建築と関係づけようとしたアルド・ロッジの視点が引用される。
しかし、近代建築は、女性的なフォルムを持っているなどの視覚的なエロティシズムだけに留まらず、精神的なエロティシズムも含んでいるのではないだろうか。
 田中は著書『死者たちの都市へ』の中で伊勢神宮の式年遷宮のシステムを挙げている。
伊勢神宮は、原則として20年ごとに内宮・外宮の二つの正宮の正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷すが、田中は、その造り替えという行為に時間の反復とも言える「循環的プロセス」を見いだすとともに、伊勢神宮が作り替えられた「新しい建築」であると意識はしていても、無意識に「古代建築」であると信じてしまうという「知と信仰」の差分よって、フィティッシュの精神状態にあると言及する。
 田中の著書『ミース・ファン・デル・ローエの戦場』では、現実空間と表象空間の間に無に等しい極微の差異が存在することによって、「この無が残余となって生み出される」と述べている。(4) 自分にあるものが喪失することへの恐れがフィティッシュの根底にあるのであれば、この「残余」が消え去らない限り、作り手にとっては精神分析的にフィティッシュの状態にあるということなのかもしれない。そのような建築家の状態を過去の言説から読み取っているのである。

5.終わりに
 この章を選択したことは、「エロティックな近代建築」というタイトルではなく、「近代というエロス」という、自分にとっては、一見して掴みどころのないタイトルが気になったからである。
近代以外はエロスではないのだろうか、など様々な疑問がこのタイトルが浮かんだのも事実であるが、「空間」の見えない部分に何が潜んでいるか、あるいは見えている部分に対して違った見方ができないか、という視点の広がりが生まれた対談であった。
 この数世紀の間でそれまでの歴史とは比べ物にならないほどの大きな変化を遂げたが、その変化の中には「存在」と「無」というフィテッシュな部分と、不快さ、不気味さなども含んだセクシャルでエロティックな部分があったのである。
 なお、田中の著書でミースとデュシャンとの共通点として挙げられた「アンフラマンス」については、どう解釈するかが、ここ数年の私の個人的な宿題となっているので、別の機会に考察してみたい。

■註
(1) 古山正雄編『空間表現論』京都造形芸術大学、2002年、269ページ
(2) 古山 前掲書、270ページ
(3) 古山 前掲書、274ページ
(4) 田中純著『ミース・ファン・デル・ローエの戦場 その時代と建築をめぐって』彰国社、2000年 、130ページ

■参考文献
・田中純著『ミース・ファン・デル・ローエの戦場 その時代と建築をめぐって』彰国社、2000年
・田中純著『死者たちの都市へ』青土社、2004年
・田中純著『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007年
・イーフー・トゥアン『空間の経験 身体から都市へ』ちくま学芸文庫、1993年
・イーフー・トゥアン『トポフィリア 人間と環境』ちくま学芸文庫、2008年

June 01, 2011

5月のスクーリングの評価点数

先月受講した総合科目スクーリング「技法研究・静止画」については、合否判定結果は早い段階で出てましたが、今日確認したら、評価点数がサイバーキャンパスに出てました!?

スレスレでAです…(苦笑)
やっぱり二日目の写真が無難な内容だったからかな~
写真については新しいテーマや今まで自分がやらなかった表現を模索中なので、仕方ないところかな…

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