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June 03, 2011

「空間論」(第一課題)の添削評価

先の記事でサイバーキャンパス上で評価結果が出たと書いた「空間論」の添削結果が返ってきました!?

「レポートの技術」、「レポートの内容」、そして「総評」という観点で、それぞれ40点、40点、20点という点数配分での評価となっていました。(私の評価は、32/31/16)
かいつまんで言うと、文献を読むことはまずまずだけど、書いていることがイマイチ。
多数の文献を読むという量はこなすけど、何を言おうとしているのかという論理展開が不十分で、飛躍的な部分があり、読み手に対して説明不足となっているとのコメントを頂きました。
おっしゃる通りです...(苦笑)
やっぱり質が重要だよねえ〜

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タイトル  :田中純にとって空間とは建築家の言説を介して共鳴するところである
■選択した章「25.近代というエロス」

1.はじめに
 このテキストの対談者の半数以上が建築家であるのに対して、田中純はドイツ研究、および表象文化論を専門とする。従って、この対談では、建築という視点だけでなく、近代という時間の流れのなかでの空間という幅広い視点での内容が織り込まれている。
田中はこのように述べる。

 ですから僕にとって建築というのは、決してマージナルな問題ではなく、
 文学、美術などを全て含み込んで、そこに時代の夢や幻想が投影される
 対象としてとらえていました。(1)

 アヴァンギャルド運動の統合された結果として建築を捉えるというマンフレット・タフーリの歴史観に影響を受けた田中は、このようにも述べる。

 建築家が残した言説を徹底的に読み解いていくことが、空間とどこかで
 共鳴するのだろうと思います。(2)

 田中にとって空間とは、建築家の言説を介して共鳴するところなのだろう。
そして田中は、テキストの中で、ヴィトゲンシュタインの言葉を引用しているが、近代建築家が自分の存在する時代に呼応し、近代的であろうとするからこそ生まれてくる問題点を展開していくことで、近代というものの全体像を俯瞰しようとしているのである。

2.時間の遺構
 先に述べたように、田中は、現時点でその場に残っている建築物の外観や環境など物理的な観点だけではなく、建築家の残した言説という過去の記録から空間を読み取ろうとしている。
 田中の著書『ミース・ファン・デル・ローエの戦場』では、ミースが、「バウクンスト」を、時間意思を空間に捕捉すること、あるいは自己の精神的な決断を空間に実現しようとする行為であると述べたことに対して、ミースの行った建築の仕事(作品)を外面的に、かつ網羅的に取り上げるのではなく、特定の作品に絞り込んで、精神分析的/イデオロギー分析的な、細部へ注視した手法によって、ミースの内面へ迫ろうとしている。
 また、著書『死者たちの都市へ』では、ダニエル・リベスキントのユダヤ博物館に対して、博物館の建設とともに設けられた「空虚(ヴォイド)」が、ユダヤ人への虐殺や追放というシンボル的な意味ではなく、無造作にその場に残された痕跡として意識されることにより、博物館の内側からフレーミングされることで、「過去の時間で満たされて、亡霊化される」と述べ、空間のデザインであるとともに時間がデザインされていると分析している。
 建築物は、その場に立ち現れた瞬間から歴史となる。しかし、田中は立ち現れる前に建に、かつ網羅的に取り上げるのではなく、特定の作品に絞り込んで、精神分析的/イデオロギー分析的な、細部へ注視した手法によって、ミースの内面へ迫ろうとしている。
 また、著書『死者たちの都市へ』では、ダニエル・リベスキントのユダヤ博物館に対して、博物館の建設とともに設けられた「空虚(ヴォイド)」が、ユダヤ人への虐殺や追放というシンボル的な意味ではなく、無造作にその場に残された痕跡として意識されることにより、博物館の内側からフレーミングされることで、「過去の時間で満たされて、亡霊化される」と述べ、空間のデザインであるとともに時間がデザインされていると分析している。
 建築物は、その場に立ち現れた瞬間から歴史となる。しかし、田中は立ち現れる前に建築家の頭の中にあったアイデア(あるいはアイデア以前のもの)から、実際に建築として生まれるまでの過程をも読み解こうとする。それらの全ては建築としての形を得ることが叶わずに計画だけで終わってしまうものもあるが、紙などの媒体へ変化を遂げた時点で歴史(記録)として残されるのである。
建築家の言説には、建築家が何故その場所を選んだのか、どのような建築物を建てようと考えたのか、などの建築家が持っていた発想とともに、その発想の起点となった思考や思想が時間の経過とともに織り込まれているため、それを読み解くことによって、空間への理解がいっそう深まることになるのであろう。
 時間の経過という観点では、田中の著書「都市の詩学」において、場所の周縁には「蓄積された記憶」と「喚起する予感」という過去の記録と未来への徴候が存在すると述べている。また、同書のなかで、中井久夫の述べた、過去の記憶を追体験するかのような「積分回路的認知」と、未来を予感して先取りする「微分回路的認知」を引用する。
つまり、空間は、今見える現在の姿だけではなく、過去から未来へと連なる時間軸をも封じ込めているのである。

3.狂った身体
 人間は、空間の持つ高さ、幅、奥行き、そして面積、容積などの要素を、手や足などの物理的(肉体的)な手段だけでなく、目や耳、鼻などの感覚器によって認識しようとしている。空間を捉えるという行為は、人間の五感に対して直感的なもののはずなのに、田中は下記のように述べる。
 
 近代の空間というものが、触覚と視覚の安定した関係が崩壊してしまった
 身体によって知覚される空間ではないかということを問題にしようとした
 訳です。(3)

 言ってみれば「目で触る」、「手で見る」というように、独立しているはずの視覚と触覚が交錯しているような状態なのだろうか。田中は、このような「狂ってしまった身体」に呼応して「モダニズム建築の空間」があったと言う。
建物に囲まれた内部を空間として捉えるのであれば比較的容易に空間を認識できるが、例えば先に挙げたユダヤ博物館のように、建築物の中に突如として室内空間とは異なる空間が出現する場合がある。このような空間は見る者の意識が混乱してしまうだろう。
 また、人間が生きている基本構成として、「空間」と「場所」が当たり前のように存在している。トーフー・トゥアンは、著書『空間の経験』の序論で、空間の意味と場所の意味とが混同されることがあるが、「場所の空間的特質」と「空間の位置的(場所的)特質」を言う二つの言葉によって「空間」と「場所」の関係性について議論すべきと述べている。
 空間(三次元)と場所(二次元)、空間(三次元)と身体(二次元)、そして、空間(三次元)と時間(四次元)というように、「空間」にはいくつもの要素が絡み合っていることに加えて、近代では空間のなかに空間というような重層構造を作り出してしまったことによって、われわれの身体に大きな混迷を与えているのかもしれない。

4.エロティシズムな空間
 田中の著書『都市の詩学』において、近代建築とマニエリスムの建築の共通点を指摘したコーリン・ロウの視点から拡大し、建築のみならずマニエリスム美術を含めて参考することで、近代建築とマニエリスム建築の共通点である視覚的な曖昧さや不安定な激しさだけに留まらず、視覚性によって喚起される情念やエロティシズムまでも建築と関係づけようとしたアルド・ロッジの視点が引用される。
しかし、近代建築は、女性的なフォルムを持っているなどの視覚的なエロティシズムだけに留まらず、精神的なエロティシズムも含んでいるのではないだろうか。
 田中は著書『死者たちの都市へ』の中で伊勢神宮の式年遷宮のシステムを挙げている。
伊勢神宮は、原則として20年ごとに内宮・外宮の二つの正宮の正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷すが、田中は、その造り替えという行為に時間の反復とも言える「循環的プロセス」を見いだすとともに、伊勢神宮が作り替えられた「新しい建築」であると意識はしていても、無意識に「古代建築」であると信じてしまうという「知と信仰」の差分よって、フィティッシュの精神状態にあると言及する。
 田中の著書『ミース・ファン・デル・ローエの戦場』では、現実空間と表象空間の間に無に等しい極微の差異が存在することによって、「この無が残余となって生み出される」と述べている。(4) 自分にあるものが喪失することへの恐れがフィティッシュの根底にあるのであれば、この「残余」が消え去らない限り、作り手にとっては精神分析的にフィティッシュの状態にあるということなのかもしれない。そのような建築家の状態を過去の言説から読み取っているのである。

5.終わりに
 この章を選択したことは、「エロティックな近代建築」というタイトルではなく、「近代というエロス」という、自分にとっては、一見して掴みどころのないタイトルが気になったからである。
近代以外はエロスではないのだろうか、など様々な疑問がこのタイトルが浮かんだのも事実であるが、「空間」の見えない部分に何が潜んでいるか、あるいは見えている部分に対して違った見方ができないか、という視点の広がりが生まれた対談であった。
 この数世紀の間でそれまでの歴史とは比べ物にならないほどの大きな変化を遂げたが、その変化の中には「存在」と「無」というフィテッシュな部分と、不快さ、不気味さなども含んだセクシャルでエロティックな部分があったのである。
 なお、田中の著書でミースとデュシャンとの共通点として挙げられた「アンフラマンス」については、どう解釈するかが、ここ数年の私の個人的な宿題となっているので、別の機会に考察してみたい。

■註
(1) 古山正雄編『空間表現論』京都造形芸術大学、2002年、269ページ
(2) 古山 前掲書、270ページ
(3) 古山 前掲書、274ページ
(4) 田中純著『ミース・ファン・デル・ローエの戦場 その時代と建築をめぐって』彰国社、2000年 、130ページ

■参考文献
・田中純著『ミース・ファン・デル・ローエの戦場 その時代と建築をめぐって』彰国社、2000年
・田中純著『死者たちの都市へ』青土社、2004年
・田中純著『都市の詩学 場所の記憶と徴候』東京大学出版会、2007年
・イーフー・トゥアン『空間の経験 身体から都市へ』ちくま学芸文庫、1993年
・イーフー・トゥアン『トポフィリア 人間と環境』ちくま学芸文庫、2008年

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